かつて北海道の大地を駆け巡っていた、今は廃線となった国鉄ローカル線のありし日の姿。
線名:美幸線(びこう・せん)
区間:美深(びふか)-仁宇布(にうぷ) 21.2Km
全駅:美深-東美深-辺渓-仁宇布
開業:1964年10月15日 美深-仁宇布
全通:1964年10月15日
廃止:1985年09月17日
訪問:1977年08月04日
旭川の北、美深駅より分岐する美幸線は、その名前が示す通り、美深と北見枝幸(きたみえさし)を結ぶ路線として、まず美深-仁宇布間が1964年に開通した。そして北見枝幸に向かう路盤の大部分が出来ていたにもかかわらず、85年に廃線になった。
無理もない。美幸線は100円の収入を得るのに3000円以上の支出がかかり、赤字線区ワースト1の名を欲しいままにしていたのだ。廃線候補に名が上がると、当時の長谷部秀見町長はそれを逆手に取り、自ら東京銀座に立って仁宇布駅の入場券を売り、「日本一の赤字線」をPRした。まだ北見枝幸への延伸が終わっていない未完成の路線である、それで評価をされるのは理不尽である、と訴えたが結果は明らかだった。
私にとって美幸線が忘れられない2つの想い出がある。ひとつは、1980年3月、汽車旅仲間の岩成君が、美幸線で国鉄全線完乗をすることになり立ち会ったこと。完乗路線や完乗駅にはみなそれぞれこだわりを持って選択したのだが岩成君は日本一の赤字線に惹かれたのか、あるいは自分の名前の「よしゆき」とも読める美幸線を選んだのか、定かではない。
筆者はまだ雪深い辺地を走る美幸線に岩成君や仲間とともに同乗した。このときはトドの異名を持つ(----言い得ている)長谷部町長や地元マスコミがやってきて、ふつうならば運休にするほどの大雪のところを、除雪までして特別に列車を走らせて、歓迎してくれた。
その後、駅前の何でも屋さん井上商店に上がり込み、お酒などをいただいて、最終便で戻った。
……さらに年月は立ち、岩成君は縁あって美幸(みゆき)さんと結婚した。
もう一つは1999年8月、すでに廃線になった美幸線に地元の有志がトロッコ列車を走らせ、これに乗ったことだ。あのときの何でも屋さん一家は美深の町に降り、トロッコ王国のパスポート発券所「コイブ」に変身していた。
本物の線路を自分の運転で走るのはもちろん初めての経験で、電車の運転がこれほど楽しいことかと、心底感動した。そして、地元の人の鉄道にかける情熱が、廃線になってもなおこれほどまでもかと、熱くなるものがあった。
美幸線は人々の心の中で、まだ走り続けているのである。
長谷部町長(左)と仁宇布駅長に迎えられる。 |
駅前で、仲間たちと |
駅前の何でも屋さんに招かれて上がり込む。 3月にしては大雪が降った。戻り雪というらしい。 |
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岩成君完乗に立ち会うため、周遊券ではなく仁宇布までの乗車券を購入した。 |