アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
後楽園球場

インターネット版の制作にあたって

2020年インターネット版について

クイズ王の本

 1987年に出版された「クイズ王の本」のインターネット版は、インターネットがようやく普及しだした1996年の、まだHTMLもブラウザも初歩的な段階にいち早くアップしたものです。その後、インターネットの普及は目覚ましく多くの人が利用するようになりました。しかし「クイズ王の本」はデザイン的に見劣りするようになってしまいました。

 そこで2012年に当時としては最新のxhtmlとcssを使ってフルリニューアルして、デザインに凝ったパソコン用のコンテンツを提供しました。
しかし急速にスマートフォンが普及し、タブレット端末も登場して、どのデバイスでもきれいに読みやすく表示されるレスポンシブWEBデザインが主流になってきました。ようやく(2020年4月)、レスポンシブWEBデザインの「クイズ王の本」を制作しました。スマホでもパソコンでも見やすいデザインになっています。

・2012年版の制作にはホームページ制作支援ソフトのDreamweaverを使いました。2020年版はそれを元にレスポンシブ化しました。ベースは、公開されているポポデザイン様のテンプレートをカスタマイズし、エディタで前回のものをコピペしていきました。ありがとうございます。
・本にはない第11回から第17回までの概要を加えました(準備中)。
・Googleマップを使ってルートを説明しました。
・ヘッダのアメリカ各地の写真はすべて北川が撮影したものです。

どうぞ、末長くご愛読ください。

2020年4月吉日 北川宣浩(第2回クイズ王)

 

本書を出版するにいたった経緯

 この本は1987年夏に日本テレビ出版部より上梓した、私にとって3冊目の本です。「クイズ王の会篇」となっていますが、実際は第2回ウルトラクイズ優勝の私北川宣浩と、第10回優勝の友人森田敬和(もりた・たかかず)の共著です。

森田敬和

 1980年代は私にとって「クイズの日々」でした。クイズに夢中になり、クイズの友人が増え、クイズがおもしろくてたまらない時期を過ごしていました。その中で知り合った森田は、何をやっているのかわからない万年青年みたいなやつで気が置けなく、「のぶちゃん」「たかちゃん」と呼び合う仲でした。森田とは1983年に二人でニューヨークに行ったし、北海道や九州などにも旅行をしました。毎日のようにうちに遊びに来て、茶わんや箸まで買ってあったほどです。その森田が1986年の第10回ウルトラクイズで優勝したのは、私にとってもたいへんな喜びでした。

 年が明けて、二人で何かおもしろいことはできないかと雑談していた中で、いくつかのハウツー本のアイデアが生まれ、中でもウルトラクイズのハウツー本は売れるのでは?となりました。前年に優勝した森田の元には大量のファンレターやバレンタインのチョコが舞い込み、森田は何人かの「ファン」とデートして、それはそれはめくるめく年月でしたので、あれだけのファンがいるのだから、本も売れるだろうとの皮算用です。余談ですが、私のときにもファンレターはきましたが森田ほどの数ではなかった。時代が違うのか……。

 二人で企画を考えました。それぞれにファンがいるであろう10人のクイズ王の回想と、これから参加する人たちへのノウハウ提供をクイズ王側とスタッフ側の双方から行う趣向です。クイズ王一人一人に原稿を書いてもらうことも考えましたが、居住地はちらばってなかなか統一してできるものではないとの判断から、暇な森田が交渉や各クイズ王・スタッフに取材をして、それを北川がまとめるという、エラリー・クィーンみたいな方法で作ることにしました。

 肝心なのは出版社です。売れる売れないのウェイトは出版社も担っています。クイズ仲間のN君が出版プロダクションにいたので、彼を通じて出版社に働きかけることにしました。しかし、その過程でどうしても日本テレビの協力を仰がなくてはならず、当時からウルトラクイズの問題集などを出していた日本テレビの出版部に打診しました。

 すると「そういう本ならぜひうちから出してほしい」となり、本家から出すなら内容的に制約が発生するものの(やばい話は書けない)、スタッフとのネゴなどはかえってやりやすくなるだろうとの判断から、日本テレビから発行していただくことになりました。

 

公共の宿

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