札沼線



線名:札沼線(さっしょう・せん)
区間:桑園(そうえん)−石狩沼田(いしかりぬまた) 111.4Km
全駅:[廃止された区間のみ]新十津川−石狩橋本−上徳富−北上徳富−雨龍−石狩追分−胃津−和−中ノ岱−碧水−北龍−五ヶ山−石狩沼田
開業:1931年10月10日 石狩沼田−中徳富
全通:1935年10月03日
廃止:1972年06月19日[新十津川−石狩沼田]
訪問:1980年03月09日

新十津川駅入場券 石狩沼田駅

札沼線は、札幌と石狩沼田を結んでいたのでその名がある。札沼線は現在も札幌(分岐駅はひとつ西の桑園)と新十津川(しんとつかわ)を結んでおり、札幌のベッドタウンを結ぶ線として、また、学園都市を結ぶ線としてにぎわっている。廃止になったのは先端部分に当たる新十津川−石狩沼田間で1972年のことだった。筆者はこの部分を訪れていない。
石狩沼田は留萠本線の駅であり、札沼線は行き止まりの盲腸線でなかったにもかかわらず、一部区間が廃止となって盲腸線になってしまった。路線が循環していたほうが遙かに便利だと思うのに、なぜかこうなった。
札沼線の歴史をひもとくと不遇の歴史である。地元の請願でようやく鉄道が開通したものの、戦時中に石狩月形−石狩追分間が休止になり、線路が供出されてしまったのだ。鉄を兵器に利用するためである。戦後1956年に全線復活したものの、再び1972年に新十津川−石狩沼田が廃止となり、今日に至っている。すぐ近くを函館本線が並行して走っており、道路も整備されていたのでさほどの価値が認められなかったからだろうか。
当時つきあっていたK子が札幌の親戚宅を拠点にしてスキーをするというので、筆者も立ち寄って札幌の観光を楽しんだ。筆者は札沼線を乗りつぶす目的があり、途中駅まで彼女もつきあったが、交換の列車に乗って彼女は札幌へ戻っていった。そして筆者は終着駅となっていた新十津川駅まで乗り通し、国鉄バスで石狩沼田まで抜けた。帰宅後しばらくしてから彼女とは別れた。いや、乗りつぶしを優先したためではない。
1999年、家族で札沼線の廃線部分を訪れた。翌2000年は辰年であり、辰にちなんだ駅で記念写真を撮って年賀状にしたかったからだ。営団地下鉄辰巳駅、海峡線竜飛海底駅などがあるが、筆者はすでになくなった雨龍駅を選んだ。雨竜町役場に連絡して雨龍駅の跡地を伺い、また町史のコピーまで送っていただいて、たいへんお世話になった。夕闇迫る田圃の中にようやく見つけた雨龍駅の跡地には、小さな墓碑が建っているだけだった。リンク集のタイトルにその写真を利用している。
正月早々わびしすぎたのだろうか、「もっと他の場所があるだろうに……」と、師匠から年賀状の返事が来た。

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