廃線前を訪ねて


かつて北海道の大地を駆け巡っていた、今は廃線となった国鉄ローカル線のありし日の姿。

©北川宣浩 2000
夕張線

 

廃線前を訪ねて

幌内線


線名:幌内線(ほろない・せん)
区間:岩見沢(いわみざわ)-幾春別(いくしゅんべつ) 18.1Km
全駅:岩見沢-栄町-萱野-三笠-唐松-弥生-幾春別
   三笠-幌内住吉-幌内
開業:1882年11月13日 岩見沢-幌内
全通:1906年10月01日
廃止:1972年11月01日(三笠-幌内)
   1987年07月13日(岩見沢-幾春別)
訪問:1974年08月05日

幌内線の歴史は古い。北海道の石炭産業の歴史でもある。
1882年、明治15年に札幌から岩見沢を通り幌内に抜ける官営幌内鉄道が敷設された。以後、北海道炭鑛鉄道に譲渡され国鉄に買収された。
函館本線岩見沢駅から分岐した枝線なのに、さらに三笠駅から幌内へ向かう枝線があった。正確には幌内に向かう枝線が幌内線の本家であり、幾春別へは分家だったのだろう。しかし、幌内線の名前の由来となった幌内駅は、一足早く1972年に廃線(客扱廃止)になっているので、筆者は幌内駅を訪れていない。

幾春別へ行ったのは、道央の炭鉱へ向かう枝線をまとめて乗りつぶしていた大学生の夏である。日が傾きかけた幾春別駅は妙に蒸し暑く、列車が戻るまでの時間、駅前の食堂で氷イチゴを食べた。わずか70円、当時としても格安だった。あの食堂やおばさんはどうなっただろうか。

幾春別駅入場券

幾春別駅スタンプ

2003年5月に幾春別駅跡を訪ねる機会があった。駅舎跡はご多分に漏れずバスターミナルになっていた。記念の碑が立っていたが、うれしかったのは朽ち果てた跨線橋が残っていたことである。 くだんの駅前の食堂であるが、一角が更地になっている。どうやらこれが氷イチゴ70円の食堂跡のようだ。その奥にはなんでも屋がまだ営業しているようだが、あいにく休日のため閉まっていた。 奔別炭鉱の櫓が不気味に立っており、町全体が消え行く静寂に包まれていた。
岩見沢への道中、まだ鉄橋が残っている部分もあり、幌内に行く支線は三笠鉄道村として線路が残っており、廃線跡の好きな人にはたまらない魅力を残している路線である。

幌内線--空中写真--1976年


国鉄幌内線全駅の空中写真である。
国土交通省の地図・空中写真閲覧サービスは、国土地理院がこれまで整備した地図や航空カメラで地表面を撮影した空中写真、公共測量で整備した地図を検索して閲覧することができる。都市計画図、都市計画基図、航空写真、旧版地図、昔の地図、迅速図、迅速測図原図などが自分のパソコンで見られるのは素晴らしい。
昭和末期の写真には今や廃線となった国鉄路線が伸びている写真があり、目を奪われる。このうち駅部分を拡大してご覧いただく。なお、写真によって拡大率は異なる。

岩見沢いわみざわ

函館本線との分岐駅であり、現在も健在である。
鉄道と炭鉱の町であり広い構内を持っていた。ここに写っている駅舎は北海道の開拓時代を偲ばせる建物だったが、平成になって焼失した。上空から見ると広いヤードがミニ鉄道模型のジオラマのようだ。
幌内線はこの写真右に、万字炭山への万字線は左に延びている。なお、写真は駅構内全体を収めるため回転させており、右上が北になっている。

岩見沢駅

萱野かやの

幌内線は石炭輸送のために作られた北海道でも古い鉄道だが、萱野駅はどちらかというとのどかな田園にあり、炭鉱の雰囲気は少ない。

萱野駅

三笠みかさ

三笠は「市」であり、広い市街地を持っているが駅は市街地の南部にあって町外れである。駅は写真の下部にある。今では鉄道記念館で車両が保存されており、さらに幌内支線(実はかつてのメイン路線)はレールが残っていて三笠鉄道村に続いている。

三笠駅

幌内住吉ほろないすみよし

支線部の駅である。
炭住が広がる地帯にある。1972年に客扱いが廃止されており、この写真撮影時にはすでに貨物専用線となっていた。レールとしては生きているので、生命感がある。

幌内住吉駅

幌内ほろない

いかにも石炭輸送のための駅。現在は三笠鉄道村として、蒸気機関車の動態保存がされている。1972年に客扱いが廃止されているがまだ貨車が残っている。

幌内駅

唐松とうまつ

ふたたび本線筋の駅である。
現在も駅舎が残っているそうだが、2003年に訪問したときは見失った。

唐松駅

弥生やよい

炭住が広がる、いかにも北海道の駅だった。

弥生駅

幾春別いくしゅんべつ

現在はバスターミナルになっている。写真右の跨線橋は今も残っている。転車台もはっきりと写っている。

幾春別駅

 

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