アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
パンナムビルニューヨーク

スタッフが語る、ウルトラクイズ秘話(2)

本当に参加者が来るか心配

 第1回は新聞などで募集告知がされました。「クイズをしながらタダで海外旅行ができる。勝てばもっと先まで行ける。ニューヨーク決戦で勝ったらさらに素晴らしい賞品がもらえる」というような紹介がされていたようです。
資料を取り寄せた人は約4000人、実際に後楽園球場に集まったのは404人でした。今でこそたったの404人ですが、当時の他のクイズ番組から考えるとすごい数です。

 後楽園に通過した80名は1週間後羽田空港に集合させられました。当時成田空港はまだ工事中、海外旅行も羽田から飛び立っていました。

 スタッフは本当にあの80名が来るかどうか心配でならなかったそうです。今では前日に日本テレビに集合させ、ホテルに一泊させていますが、朝一番のモノレールに乗らないと間に合わない早朝に、羽田東急ホテルに集合させるスケジュールでした。しかも天気は雨。スタッフはモノレールの駅で首を長くして挑戦者の到着を待ち、大きなカバンを抱えてやってきた挑戦者を見つけ、小躍りして喜んだそうです。実際の参加者は78名で、来なかった2名もキチンと断りの電話がありました。

 第1回のビデオを見ると、挑戦者は今より平均年齢が高く30歳台の人が中心。いわゆるクイズマニアも多数いて、挑戦者からしてみれば人間ドキュメンタリーなんか関係なく、あくまで大型のクイズ番組という意識だったようです。そのクイズマニアたちの度肝を抜いたのが、ジャンケンでした。

 ジャンケンはスタッフのだれからともなく言い出した企画でした。そして全員が支持した企画でした。クイズにジャンケンという意外性を持ち込む面白さは、挑戦者の悲喜こもごもの表情に充分現れていました。それにスタートの羽田でいきなりジャンケンをしたことは、クイズマニアたちに今後なにが起きるかわからない不安感を終始抱かせ、その後スタッフが常に優位につくことができたのです。

ウルトラハットはこうして生まれた

 ウルトラ名物ウルトラハット。本土に上陸してしばらくしたら、ウルトラハットをかぶる早押しクイズになります。ウルトラファンには一度でいいからウルトラハットをかぶりたいという人も多く、一種の王冠のような憧れを持たれています。

ウルトラハット

 ウルトラクイズは屋外でのロケが大部分ですから、従来の早押しクイズのようにランプがついて誰が最初に押したかを知らせる方法がとれませんでした。太陽光線のほうが強くてどのランプが光っているかわかりませんから。そこで、ランプの代わりに何かが立ち上がるものとし、さらにいろんなロケ地が予想されるので、挑戦者が立っていても座っていても大丈夫な方法として、挑戦者の身体に密着している帽子が考案されました。

 最初はハテナマークが下から垂直に上がっていく方式を考えましたが、技術的に無理なので、今の起き上がる方式になりました。第1回は電磁石で固定されていたハテナマークが、ボタンを押すことによって磁石から離れ、バネの力で起き上がる仕掛けでしたので、立ち上がったのを戻すのは挑戦者が手で倒さなくてはなりませんでした。今ではモーターを使っており、起き上がったのをリセットすると自動的に倒れます。

福留さんの一人二役

 普通のクイズ番組は司会者と問題提出者(問題を読み上げる女性)の2人で番組が進行されていきますが、ウルトラクイズではこの役を福留功男アナウンサーが1人で引き受けました。人数のワクが制限されていたのが大きな理由ですが、正反対の2つの役を1人でこなすのは、とても難しいのです。司会者としては時に挑戦者をはげまし、各人の個性をとらえてコメントしなければなりませんが、問題を出し正否を判断するときは、機械のような正確さと無情さを要求されるのです。ましてや当時の福留さんはキックボクシングの中継などをしており、クイズの司会は初めて。福留さんの努力も並大抵のものではなかったでしょう。

 挑戦者と一緒に旅をすれば人情がわき、みんなにニューヨークまで行ってもらいたいという司会者の気持ちと、問題提出者としては冷酷に失格を宣言するという、二律背反の条理の中で福留さんは旅を続けることになりました。

旅行会社が頭をかかえた異常な旅行

 ウルトラクイズには終始近畿日本ツーリストのベテランスタッフが、ツアーコンダクターとして同行していますが、この企画を聞いた当初、こんな旅行が本当に可能か半信半疑でした。なにしろ、飛行機に乗る直前まで乗る人の名前がわからない、それも40〜50名もの団体で。どこでだれが帰るかわからない。だれがホテルに泊まるかわからない。こわれやすい荷物を100個も持ってこんな旅をするにはどうしたらいいか、通常の旅行と余りに違う内容に頭をかかえました。

 ウルトラクイズの旅では航空券は人数分すべてニューヨークまでにしてあり、まず電話帳から拾ったダミーネームで予約をします。ジャンケンでなんという名前の人が飛行機に乗るかが決まったら、すぐに航空会社のカウンターに走り、名前の書き換えを。ホテルにも名前の変更を連絡します。現地で敗者が決まれば、現地の航空会社のオフィスで、これもダミーネームで予約してあった帰りの航空券の書き換えをする。そしてニューヨークまでの差額分は引換券にして払い戻す。ホテルに戻って、航空会社や次に泊まるホテルに、ダミーネームで入っている名前の変更を電話やテレックスで連絡。これの繰り返しになります。当然これらの用件は通常の業務を越えていますから、相手先はみんないやな顔をします。けれど最近はウルトラクイズの名前が航空会社やホテルに知れており「あの番組なら」ということで理解してくれるとか。最近ではツアーコンダクターもすっかりこの作業に慣れて、特に心配はないそうです。

 また、ガックリしている敗者の送り届けもたいへんな仕事で、ロケ地が空港から遠い場所だと、ホテルに戻ってくるのが深夜になることもあります。おもしろいことにだれが落ちるかだいたい予想がつくそうで、次の目的地のホテルにその人の名前を外して連絡しておくと、そのとおりの結果になるとか。

 ツアーコンダクターは旅行代理店の人間ですから、撮影のない日は旅を楽しんで欲しいという気持ちでいっぱいです。どこへ行きたいとか、何を食べたいとか遠慮なく言ってください。できるかぎりのガイドをしてくれます。

 

 

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