歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?
1985年、参加者は11754人。後楽園の○×クイズ、成田のジャンケン、機内クイズ、グァムのドロンコクイズ、ハワイのドボンクイズとなって、サンフランシスコではバケツリレークイズ。ヨセミテでは大声クイズ。ロサンゼルスでは懐かしのスターを招いてのゲストクイズ。ラスベガスではミード湖で足あげエアロビクスクイズ。
アルバカーキでは12人によるバラマキクイズ。ナッシュビルでは双子神経衰弱クイズ。オーランドではジェットコースターの前で絶叫早押しクイズ。アナポリスでは早押しダブルチャンスクイズ。アトランティックシティではビーチでトランプを使っての早押しドボンクイズ。ニューヨークでは決勝でなくてマラソンクイズ。大西洋を渡ったロンドンでは迷路を使ったバラマキクイズ。ドーバーでは奇人変人を集めたゲストクイズ。そしてパリ目前の○×クイズ。
決勝はパリ。10点先取の早押しクイズ。優勝賞品はウェットタイプの潜水艦でした。
■ルートガイドみんなぼくのことをシンデレラボーイといいますが、ぼくもそう思います。でもぼくは埼玉大学のクイズ研究会に入っていますから、少しはクイズの勉強をしていたつもりです。ウルトラクイズは前からよく見ていて好きな番組でしたが、この回はクイズ研究会のサークル活動として、全員でウルトラクイズに出ることになったのです。後楽園に行くとすごい人でした。こんなに人がいるのだから、とてもだめだなあと思いました。後楽園は暑かったです。
最初のゲートで出る問題「パリのエッフェル塔に正面はない、○か、×か」はみんなで考えました。○へ行ったら正解で、とてもうれしかったです。
グラウンドでクイズが始まりました。人が多くて走るのがたいへんでした。3問目の「オリンピックで、日本がもっともメダルを獲得したのは、昨年のロサンゼルス大会であった」では、みんなだれかにつられたようで、ほとんど落ちてしまいました。でもぼくはうっかりしていて、みんなとはぐれてしまい、それが幸いして残ってしまいました。それからはぼく1人です。夢中で走りました。そして運だけで最後まで残ってしまいました。でもクイズ研究会のみんなはもう帰ってしまい、後で開かれた説明会もぼく1人でさみしかったです。
ぼくだけ後楽園予選を通過してしまったので、みんな本当にびっくりしました。お父様もお母様もびっくりしました。でもいちばんびっくりしたのはぼく自身でしょう。どうせすぐ落ちると言われましたが、クイズ研究会のみんなからは「おまえ1人がぼくらの代表だ、がんばってくれ」と言われて、背中にずっしりと重いものを感じながら、成田空港へ行きました。
ぼくはジャンケンが超不得意なので、ジャンケンはいやだなあと思っていました。そして思ったとおりジャンケンでは1回も勝てず、負けてしまいました。
けれどぼくの回は敗者復活戦があって、10人も残れることになりました。クイズに答えるには、荷物が重い人から順番にいい席につけるのです。これはしめたと思いました。お母様が梅干しや目覚まし時計やインスタントラーメンを作る電熱器まで詰めてくれたので、ぼくの荷物はとても重かったのです。それで前の方に座れました。そしてクイズに答えて飛行機に乗れるようになってしまいました。歴代クイズ王の中でも、ジャンケンに負けて飛行機に乗れたのはぼくだけでしょう。最初からとてもついてました。