歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?
1983年、ついに10203人が後楽園に結集、○×クイズをする。成田のジャンケンは50組中10組は「負けたほうが勝ち」という珍趣向。機内クイズ、そしてグァムではドロンコクイズ。ハワイは初登場綱引きクイズ。カナダへ渡って、バンクーバーでは三択ゲストクイズ。ジャスパーでは氷河の上で、氷上椅子取り早押しクイズ。ロサンゼルスに戻って豪華客船に乗っての船上双子神経衰弱早押しクイズ。
デスバレーへ行ったのは8人、早押しダブルチャンスクイズ。レイクパウエルでは腹筋で起き上がる早押しクイズ。セントルイスではゲートウェイアーチで珍発明クイズ。ナイアガラでは早押しクイズ。オルバニーではパラマキクイズ。
準決勝地はボストン。ビンゴ通せんぼクイズ。そしてニューヨーク。
賞品はカナダの家、丸太の家だった。
■ルートガイド83年8月14日、日曜日、天気雨。その日が僕のクイズ初出場でした。そのクイズは「第7回アメリカ横断ウルトラクイズ」。そう、クイズ初出場にして初優勝してしまったのですから、人間の運命はわかりません。もちろん、優勝を狙ったわけではありません。なにしろ参加者が1万人を越えていたのですから、こんな中で勝ち残れるわけがない、なにか場違いなところに紛れ込んでしまったような気まずささえ、感じたのです。
普通のクイズは予選がありますが、ウルトラクイズはパスポートさえあればOK。そんな誰でも参加できる気安さから、出よう出ようと思ってはいたのだけれど、肝心のパスポートがない。それで毎年見るだけで終わっていたのですが、前の年にたまたま海外旅行へ行く機会に恵まれ、ようやくパスポートを持つ身になれ、それでこの年に応募したわけです。
前から番組だけは見ていたので、要領がわかっていたのでしょうか、それともたった1人で参加して、誰の意見にも惑わされなかったのがよかったのでしょうか。1万人が一気に100人になってしまう後楽園の修羅場をくぐりぬけ、なんと成田へ行けることになりました。