TVクイズ大研究

TVのクイズ番組を裸にした本!
数々の番組で優勝を続ける筆者が、自らの経験と頭脳からあみ出した、本当は公開したくない、
TVクイズ攻略のまる秘カリキュラム一挙公開!

©北川宣浩 1981
ウルトラクイズ

第7章 特別番組 アメリカ横断ウルトラクイズ


"第2回"がぼくの人生を変えたようだ


 さて、ウルトラクイズの第2回が実施されたのは1978年9月2日。このクイズにかけたぼくの情熱は第1章にあるとおり。

 後楽園球場でのO×クイズ、成田空港でのジャンケンに続き、

1、飛行機内(500問のペーパーテスト。トップは426点、85%のぼく)

2、サイパン・マイクロビーチ(O×クイズ。40名が20名に。敗者は手こぎ舟で空港へ。合格者のうち13名は、敗者復活戦カルタ取りクイズで生き返った人々)

3、ハワイ・カピオラニパーク(フラダンスなどを見ての記憶力クイズ。20名が10名に。敗者は輪タクをこいで空港へ)

4、サンフランシスコ・マリンワールド(インスピレーションクイズ。1名が脱落。敗者は象の下敷きに……!?)

 第2回ウルトラクイズ

5、レイクタホ・湖畔(リレークイズ。同一の問題に解答者が出るまでリレー式に答えていく。9名が8名に。敗者は顔にパイをベチャッ。水で洗っただけで飛行機に乗ったので、プンプン匂ったとか)

6、リノ・サハラホテルのカジノ(ギャンブルクイズ。正解ごとにルーレット式の"幸運の輪"をまわし、その金額が6ドル以上になればOK。深夜3時の撮影だった。8名が7名に。敗者は雪が降ってないのにスキーをはいて空港へ)

7、デンバー・標高四千mのパイクスピーク(早押しクイズ。間違ったら服を脱いでいく。気温マイナス3度。7名が6名に。敗者はロバに乗って下山する途中、熊が現れるというものだったが放送せず)

8、シカゴ・グレートアメリカ(国際電話連想クイズ。挑戦者がヒントを出して、日本にいる家族に答えさせる。6名が5名に。日本は深夜で家族はブーブー。敗者は宙返りジェットコースターに。撮影のため2回乗り、もう1回撮ることになったら、敗者の女性は貧血をおこしてしまった)

9、バッファロー・ナイアガラ滝(早押しクイズ。5名が4名に。勝者は遊覧船で滝めぐり。敗者はカッパも着ず、しぶきのかかる所で手を振る。しかし勝者もびしょぬれ)

10、ボストン・古戦場(熱気球に乗ってのダウンアップクイズ。4名が半分に。敗者はそのまま気球に乗ってふんわり。秋景色がきれいで最高の罰ゲームだったそうな)

11、ニューヨーク・PANAMビル屋上(早押しクイズ)

 当時24歳の北川宣浩が優勝し、港区の間下友美子氏(当時27歳)が準優勝だった。

 賞品は家族2名をニューヨークへ呼ぶというもので、母と、成田のジャンケンで負けた妹がやってきた。そしてセントラルパークに面している最高級ホテル・エセックスハウスの、これまた最高級の部屋・ウェリントン卿の間(一泊千ドルとか)に2泊した。

 ウェリントン卿お気に入りという、牛肉をパイ皮で包んだ料理も食べ(撮影してたので充分食べられなかった。放送ではカットされたので、もっと食べればよかった)三人一度に寝られそうなベッドで寝た(もち、一人で)。

 人からは「君の時の賞品が一番いいね」と言われるけれど、やっぱ、そうみたい。

 

 

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