アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
モニュメントバレー

妻に届け、勝利の叫びよ……第6回/高橋直樹(2)

消えていった仲間たち

 この旅は、気候の差が激しいのにまいりました。まず気温40℃のサイパンへ。そこで勝ったら気温マイナス5℃のアラスカへ。そして次のロサンゼルスではまた、40℃。こんな具合なんですから、体調を崩した人がだいぶいました。普通はサイパンの次はハワイですよね。私は今、父の会計事務所で働いていますが、その前に旅行会社で働いていたことがあります。添乗員として海外は何度も行ってるんですが、どういうわけかハワイだけは縁がなく、未だに行ってません。結局、ウルトラクイズでも行けませんでした。

 しかし、アラスカへ行けて本当に良かったと思っています。目の前に広がる大氷河。大自然にしばし茫然。神々しいまでの光景に、感動感動の連続でした。

 このころになると、挑戦者の顔と名前も完全に一致。すっかり意気投合してしまい、さっそくみんなでアンカレッジの街を歩きまわりました。この街、日本人はほとんどいないのに魚屋の店先には日本語で「子持ちコンブ」なんて書いてあるんです。顔を合わせて笑いましたが、その仲間も翌日のクイズでは落ちてしまい、しかも24人もいたのが一気に12人に減って、とてもさびしい思いをしました。

 次のロサンゼルスでは、クイズの撮影のあと、多少時間があったので、このツアー初めての観光としてディズニーランドとハリウッドへ行きました。ウルトラクイズは撮影のための旅行なので、撮影か移動の毎日。このような純粋の観光は珍しいんです。でも残念なことに、一番ディズニーランドへ行きたがっていた主婦の塩沢三重子さんが落ちてしまいました。ご主人もサイパンまで行かれて、夫婦仲がよく、ご主人の話ばかりしてちょっぴり妬けたりもしました。彼女の話を聞いていると、日本に残してきた女房の潤子や2人の子供たちが浮かんできて、俺1人でこんなところにいていいのか、と疑問に思ったものです。

運こそウルトラクイズ

 話は前後しますが、ロスではゲストクイズで、苦手なインスピレーションクイズや三択クイズばかり。危ない思いをしました。私の席は右から4番目。右の人がうまい具合に次々抜けて行くんです。これはヤバイ。次は私が抜けないとテレビで見るとみっともない。ラッキーにも次の問題で、つまり席順のとおりに抜けれたのですが、その後の問題でわかるのはなく、後で考えると、本当のワンチャンスだったと思い、運の良さを感じました。

 運がいいと言えばサイパンの「早い者勝ち空席待ちクイズ」もそうでした。早い者から回答席につけるのですが、何が早い者かって、「ウルトラクイズ殺人事件」という推理小説を読んで、犯人を当てた者から席につけるんです。私は子供のころから推理小説が大好きで、エルキュール・ポアロなんて全部読んでましたからいの一番に犯人を当て、好きな席につくことができました。なかには犯人の名前を10人も挙げて、ようやく席につけた人もいたくらいです。

 ところが本番のクイズでいきなりミスをしてしまい、一番後ろの席に回らされてしまいました。普通だったらもう二度と私に回答権はこなかったでしょう。実際、一度も回答席につけなかった人が何人もいました。しかし、私の列の人は優秀で次々に答えて抜けていってくれ、ギリギリ回答権がまわってきて、アラスカ行きのチケットを手にできました。クイズに勝つにはツキも大事と、しみじみ感じました。

 ピンチはまだありました。ニューオリンズの双子神経衰弱クイズで、いまでこそこのクイズはおなじみですが、私のときが最初でした。だから数字が書かれたあのボードを見たときも、何をするのか全然わかりませんでした。

 実はこの日はイヤな予感がしたのです。前の日、私はカメラを盗まれていたのです。物をなくすとか落とすとかすると、その人は落ちるジンクスがあると、前々からスタッフに聞かされていましたので、いよいよ落ちるのは俺の番かと思っていたのです。

 クイズが始まると予感的中。問題には順調に答えられるのに、神経衰弱はまったく当たらず、今度こそ!と念じても、全然別の人が出てきてしまって、間違ってばかり。最後の1人で抜け出せたときは、身体中の力が抜けてしまいました。

 

 

公共の宿

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