アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
ナイアガラの滝

決闘、リバティ島……………第10回/森田敬和

※コース概要

 1986年、記念すべき第10回大会に挑戦したのは17162人。成田では初の腕相撲。しかも○機と×機を用意してグァムへ。ドロンコクイズののちハワイでは4方向綱引きクイズ。シアトルでは日米親善インスピレーションクイズ。モハーベ砂漠では驚異のゲスト三択クイズ。ロサンゼルスでは刑務所の中で大声+念力クイズ。モニュメントバレーでは空席待ちジョギングクイズ。エルパソでは砂地獄早押しクイズ。ダラスではバラマキクイズ。

 アトランタへ来たのは11人。早押しクイズで抜けた者から南北好きなコースに分かれる。地獄の南米コース、ボリビアの首都ラパスで酸欠早押しクイズ。天国の北米コース、オーランドで双子神経衰弱クイズ。南米はチチカカ湖でトトーラ早押しクイズ。北米はマイアミで豪華客船雑巾がけクイズ。準決勝南米はリオデジャネイロで持ち点奪い合い早押しクイズ。準決勝北米はナイアガラで通過クイズ。そして両チャンピオンがニューヨーク自由の女神の足下で対決した。

 賞品は熱気球でした。

■ルートガイド
より大きな地図で 第10回アメリカ横断ウルトラクイズのルート を表示

最後のクイズ出場

 1986年8月17日、とても暑い一日でした。第10回アメリカ横断ウルトラクイズ、後楽園予選が行われた日です。こんにちは第10回クイズ王の森田敬和です。振り返って見ると5〜6年前の僕はクイズが大好きで、いろいろな番組に挑戦していました。けれど子供の頃から特にクイズが好きといったわけではなかったのです。たまたま祖父がよく見ていたクイズタイムショックを一緒に見ていたとき、テレビの前で僕が答えている様子を見て「よく知っているじゃないか、見ているだけでなく出たらどうだ」と言われ、軽い気持ちでクイズに応募したのが始まりでした。

 一度番組に出るともう病みつきになり、本当に多くの番組に出場しました。ただ、残念なことにクイズ日本一決定戦は2度出たのですが、あと1ポイントというところで2度とも準優勝に終わり、日本一のクイズ王の座を獲得することはできませんでした。そして歳月がたち、あんなに好きだったクイズも最近はもうほとんど見なくなりました。クイズに対する情熱もさめかかっていたのです。

 あの日も「後楽園に遊びに行けばクイズで知り合った人に会えるだろう」そんな気持ちで行ったのです。前の日も夜おそくまで六本木のディスコ「エリア」で遊んでいてただ眠いだけ。とてもクイズどころではない状態でした。午前7時40分、眠い目をこすりながら後楽園に行ったところ、もう第1問が出題されていました。「ニューヨークの自由の女神、100年前の除幕式の幕は、フランス国旗であった」ちょっと前に読んだ英語版「NEWS WEEK」に書いてあったので○ということがすぐわかり、○の三塁側へと入っていきました。

 そして何問かの○×クイズを運よく通過して100人に残れました。その後近くのビルで説明会があり、そこで福留さんのウルトラクイズの話を聞いているうちに「もう一度クイズをやってみよう。勝っても負けてもこれを最後にしよう」そんな気持ちになったのです。

 5年前のあの頃の情熱が再び甦ってきました。成田の第2次予選まで3週間、僕の最後の挑戦が始まったのです。

 

 

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