※コース概要
1986年、記念すべき第10回大会に挑戦したのは17162人。成田では初の腕相撲。しかも○機と×機を用意してグァムへ。ドロンコクイズののちハワイでは4方向綱引きクイズ。シアトルでは日米親善インスピレーションクイズ。モハーベ砂漠では驚異のゲスト三択クイズ。ロサンゼルスでは刑務所の中で大声+念力クイズ。モニュメントバレーでは空席待ちジョギングクイズ。エルパソでは砂地獄早押しクイズ。ダラスではバラマキクイズ。
アトランタへ来たのは11人。早押しクイズで抜けた者から南北好きなコースに分かれる。地獄の南米コース、ボリビアの首都ラパスで酸欠早押しクイズ。天国の北米コース、オーランドで双子神経衰弱クイズ。南米はチチカカ湖でトトーラ早押しクイズ。北米はマイアミで豪華客船雑巾がけクイズ。準決勝南米はリオデジャネイロで持ち点奪い合い早押しクイズ。準決勝北米はナイアガラで通過クイズ。そして両チャンピオンがニューヨーク自由の女神の足下で対決した。
賞品は熱気球でした。
■最後のクイズ出場
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書籍は第1回から第16回までの番組紹介を兼ねた問題集(放送された問題のみ)、晩年には攻略本や歴史・エピソードについて書かれた本が何冊か出ている。
1986年8月17日、とても暑い一日でした。第10回アメリカ横断ウルトラクイズ、後楽園予選が行われた日です。こんにちは第10回クイズ王の森田敬和です。振り返って見ると5〜6年前の僕はクイズが大好きで、いろいろな番組に挑戦していました。けれど子供の頃から特にクイズが好きといったわけではなかったのです。たまたま祖父がよく見ていたクイズタイムショックを一緒に見ていたとき、テレビの前で僕が答えている様子を見て「よく知っているじゃないか、見ているだけでなく出たらどうだ」と言われ、軽い気持ちでクイズに応募したのが始まりでした。
一度番組に出るともう病みつきになり、本当に多くの番組に出場しました。ただ、残念なことにクイズ日本一決定戦は2度出たのですが、あと1ポイントというところで2度とも準優勝に終わり、日本一のクイズ王の座を獲得することはできませんでした。そして歳月がたち、あんなに好きだったクイズも最近はもうほとんど見なくなりました。クイズに対する情熱もさめかかっていたのです。
あの日も「後楽園に遊びに行けばクイズで知り合った人に会えるだろう」そんな気持ちで行ったのです。前の日も夜おそくまで六本木のディスコ「エリア」で遊んでいてただ眠いだけ。とてもクイズどころではない状態でした。午前7時40分、眠い目をこすりながら後楽園に行ったところ、もう第1問が出題されていました。「ニューヨークの自由の女神、100年前の除幕式の幕は、フランス国旗であった」ちょっと前に読んだ英語版「NEWS WEEK」に書いてあったので○ということがすぐわかり、○の三塁側へと入っていきました。
そして何問かの○×クイズを運よく通過して100人に残れました。その後近くのビルで説明会があり、そこで福留さんのウルトラクイズの話を聞いているうちに「もう一度クイズをやってみよう。勝っても負けてもこれを最後にしよう」そんな気持ちになったのです。
5年前のあの頃の情熱が再び甦ってきました。成田の第2次予選まで3週間、僕の最後の挑戦が始まったのです。
■執念の腕相撲
成田では当然ジャンケンとばかり思っていました。しかしなんと腕相撲ではありませんか。最初の1人が勝って飛行機に向かうまで信じられませんでした。自分の順番が回ってきた時も自信がなく、相手の腕の太さが自分の3倍にも4倍にも見えました。弱気になってはいけない、気迫で負けてはいけない、そう思っておもいっきりの力を出しました。勝ったのです。倒れている相手の腕を見て信じられない気持ちでした。普通だったら勝てなかったかもしれません。火事場の馬鹿力、執念で勝てたのでしょう。終わったあと、僕の麻のシャツは汗でびっしょりでした。
ここで安心したのがよくなかったのでしょうか、僕は次に失格してしまったのです。「8年前成田空港が開港して、初めてお客を乗せて飛び立った飛行機はグァム行きだった」○か×かという問題が出され、○機×機という2機の飛行機が用意されていました。○機が正解だったのに、僕は×機に乗ってしまったのです。機内のペーパークイズ上位10人が敗者復活できたのですが、時間のミスで最後の方ができなくて自信は全くありませんでした。無事通過した時はうれしい気持ちとこれからが勝負という気持ちで一杯でした。
グァムでは恒例となったドロンコクイズ。ここでまた僕は失格してしまいました。ドロにつっこんでしまったのです。この時は本当にあきらめました。これで僕のクイズは終わった、そう思いました。しかし何ということでしょう、2人多くドロンコになったため、敗者復活戦があったのです。サドンデスの○×クイズをして、そこで生き残ったのが僕とナイアガラまで行ったフトン屋の小倉さん。ドロンコと一緒に僕たちは運までもらったのかもしれません。
ハワイでは所持金で4チームに分かれる綱引きクイズをやりました。僕はまる金チームになれたのですが、実際は決してまる金ではありません、念のため。
シアトルからモハーベ砂漠へと向かい、ここではゲストクイズが行われました。三択クイズだったのですが何をあげてもハズレばかり。とうとう僕と早稲田の中村君の2人だけになってしまいました。五分と五分どちらが勝てるかは、本当に運だけです。福留さんから僕の方が正解と言われたときは、神様がまだ僕を見捨てないでいてくれたのだと思いました。僕はどちらかというと無神論者です。けれどその後のチェックポイントで勝ち残っていくたびに何か神様が「敬和、まだ先へ行っていいよ」そんなふうに言ってくださっているような気がしました。 次のロサンゼルスでは時間があったためディズニーランドへ行きました。当時東京ディズニーランドにはなかったマイケル・ジャクソンの「キャプテンEO」も、一足早く見ることができました。それからモニュメントバレー・エルパソ・ダラスと3連続で体力クイズが続きました。若い人達は平気だったみたいですけど、最年長の山本さんは随分こたえたみたいです。
■クイズ南北戦争
次のアトランタでウルトラクイズ始まって以来南北2つのコースに分かれることになりました。一抜けした僕は迷わず南米コースを選びました。帰国後、多くの人からなぜ南米を選んだのかと聞かれました。北米ならこれからでも行けるチャンスはあると思いますが、ブラジルはともかく、ボリビアはひょっとすると死ぬまで二度と行くことはないと思ったからです。僕は南米のほうにロマンを感じたのです。クイズが終わると11人いた仲間が一挙に5人になりました。妹のように思っていた豊田訓子ちゃんは落っこちてしまいました。弟分の丹野君は北米へ行ってしまいました。ホテルマンの村山君もフトン屋の小倉さんも慶応の渡辺君も、そして最大の強敵西澤君も北へ行ってしまったのです。この旅行中でこんなに淋しい思いをしたのも初めてでした。
■病気で知ったみんなの友情
この頃からどうも身体の調子が冴えませんでした。身体がはっきりしないまま南米のラパスへ向かったのです。標高4080m、ただでさえ空気が薄く高山病になりやすいのに、身体の調子が良くなかった僕は高熱が出てしまいました。南米組の仲間は一生懸命に僕を助けてくれました。薬屋の大道さんと病院にお勤めの山本さんは薬のことなどで、主婦の堀さんは細かい看病を、そして若い山下君は重い荷物などを僕が運ぼうとすると「森田さん、僕が持ちます」といって運んでくれました。本当にみんなの友情には涙の出る思いでした。
病気の僕を現地で診察してくださったのが、ドクターマルチネスです。1年間日本の病院で働かれたことがあって、片言の日本語がお出来になりました。お茶漬に海苔が大好きという日本びいきのドクターでした。
ラパスでは酸欠早押しクイズを行いました。この時はドクターに血圧を測ってもらいながらクイズをしました。終わったあとはフラフラの状態になってしまいました。次のチチカカ湖へ行っても一向に熱は下がりません。僕はもうあきらめました。ここで負ける。でも帰る前にドクターにお礼を言わなくてはと、診察に来てくれたドクターに「どうもありがとうございました。精一杯頑張りましたが、身体がいうことをききません。日本へ帰ってもドクターのことは忘れません」と言いました。するとドクターマルチネスは僕の目を見て「あなた大丈夫です。リオ行きます。ニューヨーク行きます。私日本語うまくない、英語でいいですか」僕はハイとうなづきました。ドクターは「YOU MUST GO NEW YORK」と一言いって僕の手をしっかりと握り締めてくださいました。ありがとうドクターマルチネス。海苔を贈ります。僕のことを忘れないでください。
ボリビアからブラジルのリオデジャネイロへ行きました。ドクターと南米の仲間の手厚い看護のおかげで僕の身体もようやく治り始め、熱はすっかり下がりました。
南米チャンピオンを決める決戦前夜、残った山本さん大道さんの3人で一つのことを誓い合いました。「南米からは誰が勝ってもいいじゃないか。だけど南米の代表になった人はほかの山下君や堀さんの分まで頑張って、北米チャンピオンを倒そう。明日はお互いにうらみっこなしで全力を尽くそう」と。
■南米組の意地をかけて
リオではポイント略奪クイズという形式で、早押しで解答権を得ると他の人からポイントを奪うというサバイバルクイズでした。指名して他の人からポイントを取るというのはどうもいい気分のものではありませんが、3人とも昨夜の約束どおり全力で戦いました。その結果タッチの差で僕が南米チャンピオンになれたのです。
うれしい気持ちと同時に重い責任も感じました。僕は他の4人の仲間の分まで背中にしょったことになるのです。それだけではありません。ホテルからリオの空港へ向かうバスの中で、南米スタッフ全員から「森田君をわれわれ南米班は応援しよう」という拍手と応援のエールをいただきました。その時僕は一個人森田敬和であると同時に南米挑戦者ならびにスタッフの代表でもあったわけです。
北米からは誰が来るのか全くわかりませんでしたが、僕の頭の中には1人の男の顔が浮かびました。西澤泰生君です。彼は現在日本でも有数のクイズマニア、果たして今の僕が勝てるだろうか、そんな気持ちでニューヨークに向かいました。
僕にとって3年振りのニューヨーク。変化の激しい都市だけど、僕の目に映るこの都市は3年前と少しも変わってないように見えました。南米スタッフも北米スタッフと合流するため、僕とは別のホテルにチェックイン。僕だけ北米チャンピオンと顔を合わせるといけないので、遠く離れたホテルへ。後楽園では17162人もの人がいたのに、今僕はニューヨークにたった1人となりました。明日の対戦を前に大都会ニューヨークを1人で散歩。感慨深いものがありました。その夜久し振りに福留さんに会い食事をしました。10日ぶりぐらいなのに何か懐かしい感がありました。明日のことを聞かれ「全力を尽くします」と一言だけいいました。
■クイズ人生最大の仇敵と
10月4日、いよいよ決勝戦です。勝っても負けてもこれが最後のクイズです。とにかく、自分のすべてを出し切って、悔いのないように戦おう。それだけを思ってクイズ会場の自由の女神があるリバティ島へ行きました。そこで待っていたのは予想通り西澤君でした。今まで僕の戦った中で最強の男です。必死にボタンを押しました。必死に答えました。何度もピンチに追い込まれました。シーソーゲームの末、やっとの思いで勝利を手につかんだのです。
後で知ったのですが、ちょうどこの日、僕がクイズを始めるきっかけとなった祖父が亡くなりました。この旅行中「敬和はどうしている」と母に何度も尋ねていたようで、僕が勝ち進んでいるのを本当に楽しみにしていたようです。きっと僕がニューヨークで追い詰められた時、日本から飛んできてくれて僕に最後の力を与えてくれたのでしょう。おじいちゃん、僕はあなたの力でようやく日本一のクイズ王になれました。ただテレビで見てもらえなかったのが残念です。この闘いで僕のクイズに賭けた青春は全て燃え尽きました。全てが終わったそんな気持ちでした。ウルトラクイズの放送が終わると何百通という手紙をいただきました。「また出てください、ぜひ二連覇をめざして欲しい」とか「森田さんの頑張っているところを見て私も頑張って勉強しようと思った。またテレビに出て欲しい」と言った内容の物が非常に多くありました。もう二度と優勝はできないかもしれません。けれどお便りを読んで参加だけは毎年できる限りしよう、そう思うようになりました。みなさんと一緒にウルトラクイズを楽しみたい、今はそんな気持ちで一杯です。
賞品のとても素敵な熱気球をいただきました。でも日本で乗るにはライセンスがいるようなので、まだ乗ることはできません。しかしいつの日かでっかいウルトラクイズのマークがついた僕の熱気球で世界一周、(Around the World)。そして虹の彼方へ(Over the Rainbow)、飛んで行きたいと思っています。
■星に願いを
何の汚れも知らない1人の少年がいました。少年は星を眺めるのが大好きでした。夜空に光輝く星の群れは少年の心をいつもいつもときめかせてくれました。少年は星に願いをかけました。「お星様、どうか僕をあなたの仲間にしてください」その時です、夜空の中でも一番輝いている星がおもいっきりトゥインクルしたのです。
とっても長い時間が流れました。少年は大人になりました。世の中の汚れやずるさをいっぱい知りました。挫折もいっぱい味わいました。かつて少年だった大人は自分の中からだんだんと純粋なものが失われていくのに気付きました。「これではいけない」かつての少年は自分の中にまだ少年の部分が残っているうちになにかをやってみよう、そう思ったのです。
かつての少年は自分の夢をアメリカに、そしてクイズに賭けることにしました。そうです、ウルトラクイズに挑戦したのです。1ヵ月の冒険旅行は大人を少年に戻してくれました。純粋な気持ちが甦ってきたのです。全力を尽くして戦った少年に、自由の女神はやさしく微笑んでくれました。少年は勝ったのです。その時少年は自分が輝いているのに気が付いたのです。
遠い昔に星に願いをかけた通り、星の仲間になることができたのです。夜空でも一番輝いて星、それが今の少年でした。
1年がたちました。ふと少年がとなりを見てみると自分よりもっと輝いている新しい星がありました。その新しい星を少年や他の星たちもやさしく仲間に迎え入れました。その新しい星はあなたです。今年こそテレビの前でウルトラクイズを見ているのではなく、参加してください。勝っても負けてもそこに新しい何かがあるに違いないのですから。ではみなさん、後楽園球場でお逢いしましょう。
第10回決勝をYouTubeで見る
アメリカ横断ウルトラクイズ資料集
この項目は2005年3月の加筆です。
■アメリカ横断ウルトラクイズの本
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やっぱり滝川クリステルは斜め45度がいいのだ 小倉 淳 (著) 2008/02 元日本テレビアナウンサーでウルトラクイズにも同行した小倉淳のテレビ界の裏話。 ウルトラクイズで特定の人を落とす策をとったこと、福留アナの裏顔など、フリーにならなければ書けなかった話題がいっぱい。 |
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「ウルトラクイズ」はどこにある?―ある一敗者の青春 夙夜 健 (著) 2005/09 著者からのコメント 今世紀最後のウルトラクイズから7年。未だにファンに根強い支持がある「アメリカ横断ウルトラクイズ」。 第1回から視聴したファンの目からウルトラクイズを語らせていただきました。 高校生の時第5回を見学した事、第10・13・14回・今世紀最後の大会に出場 (第一次予選敗退) した思い出を、当時好きだった野球や音楽の思い出と共に書きました。出場なさった方も、テレビを見ていた方にも、読んでいただけたならきっとあの熱戦が蘇るのではないかと思います。 よろしくお願いします! 著者について 1965年東京生まれの東京育ち。 子供の頃から鉄道が好きで、特に関西の私鉄に深い憧憬あり。 西宮に居住した経験もある高校野球ファン。 |
私(北川宣浩)はじめ、ウルトラクイズに限らず何人かのクイズ王はそのノウハウなどを著書にまとめている。ここでは比較的入手しやすいものを紹介する。
・TVクイズ金必勝マニュアル 北川宣浩 1985/05
・TVクイズ大研究 北川宣浩 1980/12
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・つい誰かに出したくなる○×クイズ777問 長戸勇人 2006/04
・クイズは創造力〈理論篇〉ウルトラクイズの「傾向と対策」を学問する 長戸勇人 1990/09
・クイズは創造力〈問題集篇〉全脳を刺激する「精選1300問」 長戸勇人 1990/11
・クイズは創造力〈応用篇〉ここまでやったら、もうクイズ王 長戸勇人
・能勢一幸のクイズ全書〈1〉 1993/10
・能勢一幸のクイズ全書〈2〉 1994/11
・永田喜彰のクイズ全書―即戦力を徹底強化する「実践1400問」 1992/11
・水津康夫のクイズ全書 センチュリープレス 1992/10
ウルトラクイズのビデオやDVDを出してほしいという声は大きいが、果たして商売になるのか、また肖像権や多くのスタッフの権利をどうクリアするのかといった問題が大きいのか、いまだに実現していない。
唯一、日本テレビ系列のバップが「総集編」とも言うべきビデオを出している。
またパロディともいえる「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」がDVD-BOXになった。
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・史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズのすべて VHS 1998/11 |
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ファミコンからプレステ2まで、ウルトラクイズで使われた問題をベースとしたテレビゲームが各種発売されている。なかでもデジキューブのは福留功男氏のナレーションやCGを使った本格的なものだ。
・デジキューブ ベストセレクション アメリカ横断ウルトラクイズ PS2 2003/03
・アメリカ横断ウルトラクイズ トミー FC 1991/11
・アメリカ横断ウルトラクイズ 復刻盤 ビクター PS 1996/02
・アメリカ横断ウルトラクイズ トミー GB 1990/12
・アメリカ横断ウルトラクイズ2 トミー GB 1991/12
・アメリカ横断ウルトラクイズ3 トミー GB 1992/12
・アメリカ横断ウルトラクイズ4 トミー GB 1993/12
・アメリカ横断ウルトラクイズ トミー SF 1991/11
・アメリカ横断ウルトラクイズ ビクター PS 1996/02
・PS one Books アメリカ横断ウルトラクイズ ビクター PS 2002/05
・アメリカ横断ウルトラクイズ ビクター SS 1995/10
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ぼくと1ルピーの神様 インドの小説。 クイズ番組でみごと全問正解し、史上最高額の賞金を勝ちとった少年ラム。警察は、孤児で教養のない少年が難問に答えられるはずがないと、インチキの容疑で逮捕する。しかし、奇蹟には理由があった―。殺人、強奪、幼児虐待…ずっと孤独に生きてきた少年が、インドの貧しい生活の中で死と隣あわせになって目にしてきたもの。それは、偶然にもクイズの答えでもあり、他に選びようのなかった、たった一つの人生の答え。幸運を呼ぶ1枚のコインだけを頼りにしてきた孤児の、残酷だけれど優しさに満ちた物語。 |
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クイズ・ショウ(DVD) 1956年、アメリカ全土を熱狂させていたテレビの人気クイズ番組「21」で、ハーバート(ジョン・タトゥーロ)は8週連続勝ち抜いたが、視聴率は低下。スポンサー(マーティン・スコセッシ)は、もっと見栄えのよい人間をチャンピオンに据えよとプロデューサーに厳命し、かくして二枚目大学教授チャールズ(レイフ・ファインズ)に解答を事前に教えた上で番組に出演させ、連戦連勝させるのだが……。 50年代アメリカのテレビ界を揺るがせた実際の事件を映画化したロバート・レッドフォード監督作品。その出来栄えは俳優のみならず、監督としての彼の力量を改めて知らしめるに足るほどで、題材のスキャンダル性と、有名無名を問わない実力重視のキャスティングとが相乗効果となって、リアルな緊迫感を巧みにもたらしているが、語り口にもまったく無駄がなく、2時間を越す長尺にも関わらず退屈させる暇を与えない。まさに映画のプロフェッショナルたちが、その頭脳とセンスで作り上げた絶品の秀作である。(的田也寸志) |
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ご当地検定DS ニンテンドーDS用クイズゲームソフト。 47都道府県から好きな県を選んで、その地域の名産・名所・方言などを答えていくお遊び&実用ソフト。県民度はもちろん、日本人度が試される。ゲームモードはお試し検定から、4人まで遊べる対戦検定、シルエットクイズなど4種のご当地ミニゲーム、すれ違い通信モードなどを搭載。問題数5000、名所&名産の写真500点、方言ボイス940を収録。進むにつれて、「生まれも育ちも東京都」、「京都府番長」、「埼玉県の生き字引」など、楽しい称号が手に入る。 |
最強クイズ番組読本 2003/09
ウルトラクイズや高校生クイズの裏から見た情報。
TVクイズ番組攻略マニュアル 2002/02
「クイズ$ミリオネア」「タイムショック21」などの必勝法。
TVクイズ番組攻略マニュアル2 2002/12
早押しクイズの攻略法、クイズ王との対戦など。
TVクイズ番組攻略マニュアル3 2003/12
番組を超えて、クイズの強豪に勝つ方法。オープン戦用。
完全攻略!クイズ$ミリオネア 2002/03
過去問&番組エピソード。
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