アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
モニュメントバレー

妻に届け、勝利の叫びよ……第6回/高橋直樹

※コース概要

 1982年、終戦記念日の後楽園には7332名が集まった。○×クイズ、成田ではクイズが行われたが、解答権はジャンケンに3回かった方。そして恒例機内クイズ。サイパンでは推理小説を読んでの早い者勝ち空席待ちクイズ。一度成田に戻ってアラスカへ。一対一の早押しクイズ。ロサンゼルスではゲストを迎えてのインスピレーションクイズ。ゴーストタウンのバーストゥではゴーストうらめし早押しクイズ。

 10人になって、モニュメントバレーではバラマキクイズ。ダラスではトラックに積んだ家で移動しながらのモービルホーム早押しクイズ。ニューオリンズでは初登場の双子神経衰弱早押しクイズ。ケンタッキー州のルイビルでは馬の公園で第4コーナーまであるダービークイズ。 準決勝はワシントンDC。通せんぼクイズ。そしてニューヨーク決勝。

 優勝賞品は世界一周旅行。パンナムビルからあわただしく、東へ向けて飛んでいった。

■ルートガイド
より大きな地図で 第6回アメリカ横断ウルトラクイズのルート を表示

何年来の夢が実る

 初めてウルトラクイズに参加したのは第3回でした。昔からクイズに興味があって、高校生のころは、クイズグランプリをよく見ていました。なにしろ月曜から土曜の毎日やっていたのですから。この番組は月曜から金曜の5日間が予選みたいな形で、土曜日に予選トップだった5人がチャンピオン大会をして、優勝者がヨーロッパへ行ける内容ですが、チャンピオン大会では当然問題が難しくなります。その難しい問題が、しかも誰も答えられないスルー問題が、わずか高校生で答えられたので、これはひょっとしてクイズの才能があるんではと、思っていました。

 そんなわけで、クイズ番組に参加する意志はあったのですが、なにぶん住まいが静岡市。東京にほど近い割りにはやはりローカルで、クイズ番組の予選がほとんどないんです。しかし、あるとき見た第2回ウルトラクイズ。これならば後楽園までは自費だけれど、行きさえすれば誰でも参加できるのだからと、翌年応募しました。

 第3回では、見事最後の100人に残り後楽園を通過。成田空港まで行けたのですが、あのジャンケンに負けてしまい、宗田さんに栄誉をゆずったのです。

 前日、成田のホテルで同室だった人がジャンケンの対戦相手。部屋割りもジャンケン相手も、エントリーナンバー順に機械的に割り振ってますから、こういうケースは多いようですが、その同室の人が前夜、私はジャンケンが弱いと、しきりにぼやいていたんです。その人に負けてしまったのですから、本当にガックリきました。そしてクイズは、問題ができるできないの前に、相手あってのものだから、心理作戦が大事とも悟りました。

 しかし、100人に残って成田へ行ったことで、クイズに対する自信は深まりました。静岡の不利はありましたが、積極的に応募。三枝の国盗りゲーム、クイズタイムショックと次々にクイズ番組に挑戦し、中でも81年に出たパネルクイズアタック25では、パリ旅行を獲得することができたのです。このパリ旅行のメンバーの中に、ちょうどこの年の第5回ウルトラクイズでメンフィスまで行った道蔦岳史君がいました。彼からウルトラクイズの話を聞いて、もう一度ウルトラクイズに挑戦する決心が沸きました。

 そして翌年82年、第6回ウルトラクイズに臨んだのです。後楽園では再び100人に残り、成田へ。前回のジャンケンの敗戦を教訓として、今回は必死になってジャンケン攻略法を考えました。あそこへ出る人は誰もあがっています。そのあがっている人がジャンケンで何を出すか。コンピュータのプログラムのように考えてみました。あるマル秘の解決策が見つかり、この方法なら絶対勝てる、という攻略法を編み出しました。
成田の趣向は、クイズに正解したら飛行機に乗れる、クイズに答える権利はジャンケンに3回勝った方、という人を食ったものでした。クイズはとても簡単ですから、ようするにジャンケンなんです。しかし、現実にジャンケンに勝ったときは、絶対に勝てると思っていながらも興奮してしまいました。

 問題は「ウィスキー、水で割ったら何?」。

 当時私が大好きだった女優シェリル・ラッドが、「ブランデー、水で割ったらアメリカン」というコマーシャルに出ていましたので、「ブランデーならアメリカンですが、ウィスキーなら水割りですね」と、チャチャを入れて答えようとも思いましたが、なにしろ興奮していますから「水割り」と一言、それも、自分の声でないようなうわずった声で答えて、一目散に電話めがけて走りました。何年来の夢がかない飛行機に乗れるようになったことを、とにかく早く家族に知らせたかったんです。

 

 

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