※コース概要
1979年、後楽園球場には1362名が参加。1問目は風船を持っての○×風船クイズ。×と思えば風船を大空に放すのだ。そしておなじみ○×クイズで100名に。成田のジャンケン、機内の400問ペーパークイズと続き、サイパンではホテルのベランダから○×クイズ。20名がハワイへ。ダイヤモンドヘッドを背にして、船の上での一対一の早押しクイズ。
ロサンゼルスでは、プレスリーやモンローのそっくりさんを迎えて三択インスピレーションクイズ。グランドキャニオンでは早押しクイズ。ツーソンではバラマキクイズが初登場。サンアントニオではアラモ砦の前で早押しクイズ。ヒューストンでは牧場に動物ゲストを迎えての三択クイズ。残るは4名、マイアミではタイヤを引きずってのリタイヤクイズ。
準決勝はワシントンDC。ホワイトハウス前で5点先取の早押し封鎖クイズ。
ニューヨーク決戦はパンナムビルで、10点先取の早押しクイズ。
優勝賞品は競走馬1頭でした。
■いつのまにかブッチャーに
僕には親からもらった利八郎(りはちろう)という立派な名前があるのだけど、番組で「ブッチャー」というあだなを付けられてしまいました。言うまでもなくブッチャーは、悪役プロレスラー「アブドラ・ザ・ブッチャー」のこと。名付親はハワイで落ちた吉田君という青年でした。みんな僕にぴったりのあだなと思ったのだろうか、それ以後は誰もがそう呼ぶので司会のトメさんの耳にも入ってしまい、放送でも使われてしまったのです。気に入ってるかと聞かれたら返答に困るけど、今ではクイズ仲間で「宗田」と本名を呼ぶ人はいないし、ブッチャーと声をかけられると、素直に返事をしてしまいます。
■出会いは1回目から
僕とウルトラクイズとの出会いは、やはり1回目の放送でした。それまでのクイズ番組とはまったく違ったスケールの大きさに感動しました。そしてニューヨークで優勝した初代クイズ王の松尾さんを見て、世の中にはなんてすごい人がいるんだと、心の底から感動したのを覚えています。
機会があればなんとしてでも参加したいと思っていたのですが、なにぶん当時は単発のスペシャル番組という感じでしたので、あまり期待もせず1年が過ぎました。
1年後、2回目があったのはたいへんうれしかったのですが、残念ながらケガをしていたため出場を断念、テレビを見るだけで終わってしまいました。北川君は他のクイズ番組にも出場していたから、多分彼が勝つんではないかと見ていたところ、案の定優勝してしまいました。 そして79年夏、第3回目にしてはじめて後楽園の人工芝を踏んだのです。当時29歳、まだ独身。しかも東京は学生時代を過ごしたところで、万事、気楽なつもりで行きました。
参加者は1000人を越え、風船を握っているか手放すかで判定する○×クイズとか、ボールを拾って○×サークルにかけこむとか、いろいろ新趣向が登場したのもこのころからです。ひねた問題もかわして調子よく勝ち進み、去年のクイズ王北川君も途中で落ちる乱戦気味でしたが、見事突破。成田へ行けることになったのです。もうそれだけで気分はアメリカ。いい気なもんですが、人生気楽が一番です。
僕は家業の造り酒屋で働いていますが、そのころは父親も健在。そこで仕事をまかせて成田空港へ。ここでは当然ジャンケンだろうと予測をして、前もってジャンケンの練習をしたのを覚えています。正直なところジャンケンは弱いんです。「本番」でも3対2の大接戦。かろうじて勝ちました。ちなみに2年後の第5回にはハワイまで行けましたが、この時のジャンケンも3対2。僕の成田はいつもヒヤヒヤものです。
■寝るのは日本でもできる
いざ、アメリカへ旅立ってからは遊んでばかりいました。だからスタッフから「第2回の挑戦者はもっと勉強をしていたぞ。少しはクイズの勉強をしたらどうだ」と、しかられてばかりいました。でも、そんなことは日本でもできるじゃないですか。せっかく全国から世代を越えてアメリカへ来てるんです。僕には、お酒を飲んでカードゲームをして語り合った夜が、なによりの思い出です。
そんな調子だから、はっきり言って、僕は毎日ほとんど寝てませんでした。寝るのがもったいないと思ったんです。寝ることこそ日本でもできますよね。せっかく遠くアメリカまで来てるんだから寝るなんてもったいなくて。
だからグランドキャニオンではフラフラ。前の晩の夜遊びがたたったんですね、なんとクイズ中に寝てしまったんですよ。トメさんの読む問題の声が遠くで聞こえてきて、急にフーッと自分のほうに近づいてくる……。ハッと思って我に帰ると、学校の机上ならぬここはグランドキャニオン。すぐ後ろは断崖絶壁なんですから、我ながらたいしたものです。後半必死で追い上げことなきを得ましたが、この時は苦戦しました。
クイズが終わって振り返って見たグランドキャニオンの雄大な景色。こんなすごいところが地球上にあるなんて、クイズの苦戦もあったでしょうが、長い旅の中で最も印象深い場所として心に残っています。
■過酷なクイズが次々登場
後楽園でもそうだったように、この回からクイズ内容がバラエティ豊富になってきました。あのバラマキクイズが登場したのも第3回ですし、腰にタイヤをくっつけて、15m先の早押しハットめざして走るリタイヤクイズが行われたのもこの回です。
実は、僕は体力を使うクイズが好きなんです。普通の早押しクイズは、今度落ちるのはもしかして……と強迫観念が強いのか胃がキリキリ痛むんです。スタッフが、神経性胃炎ならぬクイズ性胃炎と名付けてくれましたが、体力クイズになるとこのクイズ性胃炎が消えるんですね。胃が痛いのを気にするどころではない、というのが真相でしょうけど。
リタイヤクイズはただでさえ重たいタイヤを腰につけて、なんとマイアミの砂浜で行われました。砂浜なんて普通に歩いていても、砂に足がめり込んで歩きにくいですよね。
胃の痛みを気にしないのはよかったのですが、もう疲れました。問題の答えがわかって走っても走っても、最年長だった僕は早押しハットにたどりつけないんです。若い連中がサーッと走っていって、ピンポーンと答えちゃうんですよ。こうなったらかけひきです。誰も答えられない難しい問題だけ答えるようにしました。かと言って、みんなが先に勝ち抜けていけば負けるのは僕なんですから。ようやく勝ち抜けたときは、身も心もヘトヘトでした。
■シャレにならないバス強盗?
ワシントンを経てニューヨークへ行けることになりましたが、ニューヨークの第一印象は噂どおりの怖い街。なぜって、ぼくらが乗っていたロケバスが、市内で他のクルマと接触してしまいました。よくあることですが、そしたらそのクルマから、女連れの男がナイフを持ってバスに乗り込んで来たんです。最初は、ウルトラクイズのことだからどうせ「どっきりカメラ」だろうとタカをくくっていました。でも周りを見るとカメラはまわってないし、一緒に乗っているスタッフは大慌て。警察が来て事なきを得たんですが、あれ、本当の殴り込みだったんですね。あのままナイフを振り回されたらどうなっていたことか。多分ウルトラのスタッフのことだから「ブッチャー、おまえやれ!」なんて僕に押しつけて逃げたでしょうね。
■ぴったりの賞品をもらう
優勝を意識したのはニューヨークに着いてからです。いままでのチェックポイントでは、もう一つ先へ進めばいいと、ただそれだけを望んでいましたが、ニューヨークの高層ビル街を歩いて、ここまで来たのだから、と闘志が沸いてきました。
決勝戦の相手は当時18歳の浪人、田上滋君。若いのにかかわらず、いろんなことをよく知っている強敵でした。それもそのはず、機内ペーパークイズでは同点5位の仲。
あとからビデオを見ると問題にも恵まれていたようですが、とんとんと答えて、優勝できました。ここまで来たのだから何が何でも、という強い気持ちと、過去にベルトクイズQ&Qに優勝していた経験が、最後に物を言ったのかもしれません。
優勝賞品は競馬の競走馬1頭。実は大学時代に落語研究会に入っており、そこでの高座名が狂亭競馬(きょうていけいば)。文字どおりのギャンブル狂なんです。そしたら賞品が競走馬なんですから、友人からはあんなぴったりの賞品はない、なんて言われてしまって、まったくそのとおり。うれしかったですね。日本では、いろいろな制約があって競走馬のオーナーになるのは難しいんです。それがこんな具合に実現してしまったのですから。
残念ながらあの馬は手放してしまいましたが、いつかまた競走馬のオーナーになろうと思っています。馬の、あのやさしい目がなんとも好きなんです。
■多くの友人ができて
この旅で、世代や性別・職業を越えて、とても多くの人と知り合うことができました。おもしろい奴、いい奴、かわいい子、いやな奴……。何人か印象深い奴を紹介してみます。
やはり勝負の世界なのでしょう、旅をしていてジンクスみたいなものが生まれてくるんです。ハワイでは第1回と同じように、カタマラン船の上で一対一の早押しクイズでした。僕の相手は北畑治君。彼は第1回の時も、ここハワイまで来ている強敵なんです。しかも対戦相手は優勝した松尾さん。相手が優勝したなら北畑君もあきらめがつくでしょうが、なんと今回彼の相手は僕。僕も優勝したわけだから、彼の対戦相手は2度とも優勝者。そうなると北畑君の相手をすると優勝する、というジンクスになりませんか。こういうことが重なると、彼は逆にあきらめがつかないんじゃないかな。
それからグランドキャニオンまで行った田中博幸君。彼と同室した人は必ず落ちるというジンクスがあって、自ら「死神」と名乗るくらいでした。だからみんな田中君と同じ部屋になるのはイヤと、部屋割りをする近畿日本ツーリストの小出さんを困らせたものです。グランドキャニオンで落ちてくれて一同胸をなでおろした、というところです。
中でも一番の収穫は、若い人を見る目が変わったことでしょう。それまで僕は、自分より若い連中とつきあう機会があまりなく、あっても世間知らずの人間ばかりで、いい印象を持ってなかったのです。でも、マイアミまで行った高山聡君、彼は今までの若者の印象を払拭させてくれるさわやかさがありました。大変礼儀正しく、僕の目からみて本当にいい奴でした。近頃の若い者にもしっかりしたのがおるわいと、彼のおかげで長い間の偏見を捨てることができました。
さらにぼくら挑戦者の結束はたいへん固く、アラモアナクラブという集まりまで作りました。これはハワイで泊まったホテル、アラモアナホテルからとった名前ですが、結成当初は後楽園が近づくと合宿までしていたほどなんです。しかし当時の仲間はいまやほとんど社会人か人妻。みんな忙しくなって、合宿や忘年会どころではなくなりましたが、それでもみんなが年に一回会える場所、それがウルトラクイズの後楽園球場なんです。そんな意味からも、いつまでもウルトラクイズは続けて欲しいですね。
■新しい人生も拓ける
ウルトラクイズ出場は、その後の僕の人生をいろいろと楽しく、ハッピーにしてくれました。地元福島県棚倉町の商工会青年部で、小学校の高学年を相手に、棚倉縦断ウルトラクイズをするようになったんです。小学生とバスに乗って、近所の観光名所をまわりながらクイズをする、まぁ、地元のお祭りなんですが、これのクイズ問題作り、司会進行とやるのはすべて僕一人。大変といえば大変ですが、勝ち抜くと段ボール紙で作ったメダルをかけてやるんです。子供たちはテレビに出たブッチャーからごほうびをもらったと、それは大喜び。その笑顔が励みになり、問題作りは大変だけれど、これからも長く続けたいと願っています。
第6回の後楽園でちょっと紹介しましたが、僕も結婚して子供が生まれ、息子の佑一郎が4歳、娘の由実が3歳になりました。あと何年かしたら僕の子供たちも棚倉縦断ウルトラクイズに出場できます。親父である僕が企画したクイズに子供たちが参加してくれる日が、今から待ち遠しいですね。
他のクイズ番組にもいくつか出させていただきましたが、ウルトラクイズに優勝してからは僕に対する反応が違うのです。ものすごく偉い人みたいに思われてしまって……。パネルクイズアタック25に出たとき、司会の児玉清さんが「うちの娘があなたのファンなんですよ」なんておっしゃってくださり、なんだか照れくさく、困惑してしまいます。
そうです、僕はあくまで普通の人なんです。人生を気楽に生きてきました。そして気軽に出たウルトラクイズでハッピーになれました。勝ち残るのはとっても難しいけれど、チャンスは誰にも平等にあるのです。1枚のはがきを出す。そして後楽園に行く。それだけのことです。あとはどうチャンスを活かすか、でしょう。
僕はこれからも年齢がこぼれない限りウルトラクイズに参加するつもりです。みなさんもぜひ参加してください。きっとハッピーになれると思います。
年に1度の後楽園、そこがぼくらの集合場所です。
いつもビシバシ、クイズに答えるクイズ王たち。今度は自分たちがクイズの問題になってみた。君はクイズ王たちについてどれだけ知っているだろうか。ためしてみよう。
A.松尾清三が好きなくだものは何?
1)いちじく 2)バナナ 3)グレープフルーツ
B.北川宣浩がニューヨークでまだ観てないミュージカルは?
1)キャッツ 2)コーラスライン 3)フォーティセカンドストリート
C.宗田利八郎は福島県棚倉町の何という字(あざ)に住んでいる?
1)刀町 2)鉄砲町 3)爆弾町
D.山口由美が結婚式を挙げた教会はどこにある?
1)霊南坂 2)グァム 3)軽井沢
E.真木法男のお父さんの名前は?
1)真木信長 2)真木秀吉 3)真木家康
F.高橋直樹の名前はお兄さんの名前とペアになっている。お兄さんの名も○樹だが、それは?
1)正樹(まさき)と直樹で正直 2)素樹(もとき)と直樹で素直
3)実樹(さねき)と直樹で実直 (PART2へ続く)
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