クイズ王10人が、テレビには写らなかった各場面の真相と、ゆれ動いた心を初めて明かした。
※コース概要
1977年夏、後楽園球場に集まった第1回の参加者は404名だった。グラウンドには降りず、客席に座っての○×クイズで80名に。羽田空港ではクイズ史上初のジャンケンに、そこで40名が飛行機に乗ってグァムへ旅立った。しかし機内では800問のペーパークイズ。
グァムではビーチで○×クイズで20名に減り、そしてハワイでは一対一の船上早押しクイズを行い10名となった。サンディェゴではシーワールドでゲストを迎えての三択インスピレーションクイズ。フェニックスでは灼熱の砂漠で早押しクイズ、間違えると後ろのサボテンを一周させられる。カウボーイの街ダラスでは、牧場でわらに腰掛けての早押しクイズ。
ジャズ発祥の地ニューオリンズ。ここではショーボートに乗って早押しクイズで3名に。準決勝地はアトランタ。ストーンマウンテン公園で三択&早押しクイズ、2名に。そしてニューヨーク。ヘリコプターで向かったパンナムビル屋上では早押しクイズ。優勝賞品はラスベガスの土地1226坪でした。
■感慨深い10周年
私が第1回のクイズ王なので、この手記のトップバッターを努めさせていただきますが、そうですか、もう10年も立ちましたか。あのときまだ小学校5年生だった長女の陽子がいまや20歳のOL。初月給で鞄をプレゼントしてくれるような歳になったのですから、光陰矢の如しとは、よく言ったものですね。いまでこそウルトラクイズは国民的行事になりましたが、私が参加した77年はなにしろはじめてなんですから、なにが飛び出すやらおっかなびっくりしながら、いつのまにかニューヨークまで行ってしまったという感じがします。
■見つけたハガキで応募をし
私がウルトラクイズに参加しましたのは、やはりクイズ番組が好きだったからです。昔から、そりゃぁ、よく見ておりました。昭和40年代はクイズ全盛時代で、いろいろのクイズ番組がありました。でも、私はすでに30いくつでしたし、自分がテレビなどという大それたものに出るなんて、少しも考えておりませんでした。
私は京都市で材木商を営んでおりますが、ある時、私の会社の書類棚をかたづけていましたら、使ってない黄色く変色した古はがきが出てきました。人様には出せませんが、クイズ番組ならと、遊び半分でいつも見ていたベルトクイズQ&Qに応募してみたのです。すると、なんとあの黄色いはがきが当選したようで、予選に呼ばれ、驚くなかれ合格。東京のテレビ局へ行きまして、ライトを浴びまして、無我夢中のうちにいつのまにか勝ち抜いて、ミリオンステージに挑戦。結果は30万円にチャレンジして失敗でしたが、これが私のクイズ初体験です。今のクイズは若い方がご活躍ですが、当時私はすでに36歳、遅れてきた新人なんです。
さて、こうなったのが運のつき、もう私はクイズに夢中になりました。いろんな番組に出させてもらいました。中でもクイズグランプリではヨーロッパ旅行、パネルクイズアタック25ではパリ旅行を獲得。一緒に旅した皆さんもクイズで優勝した方々でしたから和気あいあいの楽しい旅となって、クイズの知り合いがどんどんできてきました。
■半信半疑でいざ東京
あれは38歳のときでしたので、77年の初夏と思いますが、ある日、クイズ仲間から「なんだかよくわからないが、でっかいスケールのクイズ番組があるから出てみないか」とお誘いを受けました。これがウルトラクイズで、とにかく、クイズをしながらアメリカを旅行させてくれるというふれこみでしたから、キツネにつままれたような気分のまま、後楽園球場まで行きました。
さあ、後楽園へ行ったらたいへん。ぎょうさんな人がおるんですわ。404人だったそうですが、雰囲気に呑まれた私には1000人にも2000人にも見えました。なにしろ普通のクイズの予選なんて100人集まるのがいいとこでしたから。クイズに優勝しないのにアメリカへ行けるとなると、大勢の人が集まるもんやなぁと思いました。観客席に座らされ、○と×の紙を渡され、○×クイズになりました。
「上野動物園のパンダ夫婦の名は、リンリンとランランである」
こんな問題から始まって、いくつも問題がでました。私は旅行中ずっと川柳をひねっていましたので、お目汚しに紹介しながら進みましょう。
スタンドに ○×2つの 花が咲き(後楽園球場)
間違えたら即座に退場です。顔なじみのクイズ仲間たちも悲鳴をあげ、次々脱落していきました。80名の合格者の中に入ったときは、本当に運がよかったと思いました。さあ、来週は羽田空港へ集まらなくてはなりません。一度京都に帰り、まだ健在だった親父に仕事を頼み込み、旅支度をして再び東京にまいりました。
■何から何までびっくりし
今では当たり前となったジャンケンも、最初なのでたいへん面喰らいました。
ジャンケンに 肝がつぶれて 悲鳴あげ(羽田空港)
いい年をして、グーだのパーだのに一喜一憂。これに勝ってやれ嬉しやと飛行機に乗り込めば、朝食も食べさせてもらえずに、いきなり800問のペーパークイズです。制限時間60分。一問当たり4・5秒の割合。必死の形相でクイズと格闘です。
八〇〇問 朝飯前に サッと喰い(グァムへの機内)
千鳥足 これはたまらん カタマラン(ハワイ)
ハワイでは揺れるカタマラン船の上での一対一の早押しクイズでした。
ガセネタに 歓喜の手を振る アホが居り(サンディゴ)
このガセネタとは、カーター大統領のそっくりさんのことです。国民学校世代の私は、偉い人を見ると無条件で感激してしまうところがあり、黒塗りのクルマから大統領が現れたときは懸命に手をふってしまいました。しかも「私は誰でしょう」という問題に、迷わず「本物」と答えてしまいました。今でも酒の肴にされて、皆の笑いの種にされておりまする。トホホホホ。末代までの恥ですわ。
はよ走ろ サボッテンなんか いられるか(フェニックス)
ここでのクイズは早押しクイズで、お手付きをしたり全員が答えられなかったりすると、30m後ろにあるサボテンを一周しなければなりません。おまけに勝ち抜けメダルをもらうまでは水は一滴も飲ませてもらえません。砂漠の炎熱に全員グロッキー。「もういやっ」と気丈な藤原(現姓五島)滋子さんもなきべそをかいておりましたっけ。
一人減り 二人減りする 夕餉かな(ダラス)
ショーボート さあ出まショーと ボーと鳴き(ニューオリンズ)
健闘の 遠藤ついに ザ・エンドー(アトランタ)
アトランタで、最も若い挑戦者の遠藤君が落っこちてしまいました。旅慣れていた若い彼はいつも元気で、夜遅くまで1人で遊んでいたのが印象的でした。ここでは勝ち抜けのお祝いに当時人気のあったプロレスラー、マクガイヤー兄弟の太い腕にだっこされ、ああニューヨークへ行けるんだ!……このときが3週間の旅の中で一番感激した一瞬でした。
■夢見るようにニューヨーク
ニューヨークに着いた夜、家へ電話しました。次女の絵里(当時6歳幼稚園児)の「オトウチャン、ハヤクカエッテキテホチイ」という甘え声にはホロリとしました。現在、花の高校1年生ですが、私とは相性が悪いのでしょうかツンツンプリプリ、ろくろく口も聞いてくれません。淋しいもんですわ、アッハッハ。
エンパイヤ 今日は僕らの アンパイヤ(ニューヨーク)
決勝戦の相手は滋子さん。私より一回りも若いのに、クイズのキャリアも実績も実力もはるかに上でした。グァムの浜辺の○×クイズで一旦落ちたものの、すぐ敗者復活戦でカムバックしてからは勢いに乗り、それ以後はまさしく破竹の進撃。いつもトップ当選で、圧倒的な強さを見せつけていました。しかし、さしもの彼女も緊張していたのでしょう、第1問目はお手付き。私は無心で戦ったのがよかったのでしょうか、真珠湾攻撃とか、軍艦マーチとかの古臭い問題が出たのがよかったのでしょうか、何とか10問先取し、優勝してしまいました。終わった瞬間は、うれしいというより、緊張よりの解放感で、むしろホッとした気持ちでした。
「松尾さん、全身で喜びを表してください」
福留さんに言われ、私はパンナムビルの上で思わずルンルン踊りを披露してしまいました。
優勝の 美酒多すぎて 目を回し(ニューヨーク)
その夜の祝賀パーティの席上で、優勝賞品であるラスベガスの土地1エーカー(約1226坪)の権利書を手渡されました。
SOLD(売約済)の 立札一つ 砂と空(ラスベガス)
ラスベガスの土地をいただけるので有頂天になりました。将来はうちの材木で日本料理店でも建てようと思って張り切って行ったのですが、着いてビックリ、なんと砂漠のどまんなかではありませんか。スタッフのブラックユーモアに「やられた!」と思いましたが、それでも私は夢とロマンという大切なものをいただいたと思っております。現在でも土地の権利書は手放さずに大切に保管しており、時々虫干しを兼ねて取り出しては、私の命の次に大事な土地が、核実験による死の灰に汚染されとりゃせんか、誰かゴミ捨て場にしとりゃせんかと、くだらぬ心配をして楽しんでおります。
■楽しい思い出、時を越え
この旅をして一番良かったのは、多くの人たちと知り合えたことです。10年たった今も、参加者の皆さんとは仲良くさせてもろてます。只で海外旅行をしたということで、ロハクラブという会を作りましたし、クイズ仲間の代表として滋子さんの結婚式にも招待されました。それから私以来関西からクイズ王が出ておりませんので、ウル西会(うるさいかい)を創設し、会長に就任させられました。
この親父の影響でしょうか、息子の豊史がクイズに興味を持ち、全国高等学校クイズ選手権に2回も参加しました。来年88年になれば豊史も高校を卒業し18歳になります。そうすればウルトラクイズに参加できますから、親子でクイズ王という、輝かしい記録が生まれるかもしれません。参加者が2万人近くにもなった今、それは難しいでしょうね。私の3週間の旅を許してくれた、今は亡き親父、愛する奥様、そして2人の娘と息子よ、本当にどうもありがとう。最後に、私が作ったウルトラクイズ折り句を捧げ、つたない一文を締めたいと思います。
ニ 二十余日の長い旅
ホン ほんとにどうもごくろうさん
テ 転戦実に十一度
レ レース往復八千里
ビ びっくりしたよ じゃんけんにゃ
モ もうこうなれば やけくそだ
ク くそったれめと にらんだら
ヨ 4連勝で ゲートイン
ウ 海はコバルト グァムの浜
ス すてきな気分で 遠泳だ
ペ へこたれまいぞ 長丁場
シ 静かな闘志 胸に燃ゆ
ャ やあやあアロハ ハワイだよ
ル ルール変わって ボタン押し
ア あわてふためき ミスばかり
メ 目玉クラクラ カタマラン
リ 立派なクルマでお出ましの
カ カーターさんのガセネタに
オ 俺はとび出て握手した
ウ 嬉し涙の スタッフさん
ダン ダンダンひびく 銃の音
ウ ウワーと襲う インデアン
ル ルールによりて 罰ゲーム
ト とっつかまって ザ・エンドー
ラ ラクチンラクチン ヘリコプター
ク 雲にそびゆる エンパイヤ
イ 粋な姿の 女神様
ズ ズーッと回って パンナムへ
バン バンザイ!ヤッタ! 優勝だ!
ザ さてごほうびと ふたとれば
イ 一エーカーは 砂と空
おそまつ。 (松尾氏の川柳は数字の表記を含めて原文のママ)
ニューヨークへ行けるのはたったの2人。その2人のために、クイズ王がウルトラクイズならではの名所を特別にガイド。
ラーメンサッポロ
47番街にあるラーメン屋さん。決勝前夜、挑戦者・スタッフ一同ここでラーメンを食べるのが習わしになっている。
エセックスハウス
セントラルパークの南に面した高級ホテル。第2回の賞品はこのホテルに家族と一緒に泊まるものだった。今では日航ホテルグループに買収されている。
パンナムビル
パークアベニューを封鎖するように建つオフィスビル。すでにパンナムの持物ではないが、今ではウルトラクイズ決勝の地として、ニューヨーカーのあいだにも広く知れ渡っている。
自由の女神
バッテリーパークよりフェリーで15分。第10回で決勝が行われた場所は、観光客の行かない、荷物の積み降ろしに使われている桟橋だった。ウルトラクイズファンは、みやげもの屋に売っている本や、自由の女神のキーホルダーやスプーンに狂喜するだろう。
ヘリポート
決戦の前、挑戦者が飛び立つヘリポートは、イーストリバー沿いベルビューホスピタル脇にある。料金さえ払えば、普通の観光客でも乗せてくれる。しばしクイズ王の気分を味わおう。
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