アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
ストーンマウンテン公園

なぜか優勝……………………第9回/金子孝雄

※コース概要

 1985年、参加者は11754人。後楽園の○×クイズ、成田のジャンケン、機内クイズ、グァムのドロンコクイズ、ハワイのドボンクイズとなって、サンフランシスコではバケツリレークイズ。ヨセミテでは大声クイズ。ロサンゼルスでは懐かしのスターを招いてのゲストクイズ。ラスベガスではミード湖で足あげエアロビクスクイズ。

 アルバカーキでは12人によるバラマキクイズ。ナッシュビルでは双子神経衰弱クイズ。オーランドではジェットコースターの前で絶叫早押しクイズ。アナポリスでは早押しダブルチャンスクイズ。アトランティックシティではビーチでトランプを使っての早押しドボンクイズ。ニューヨークでは決勝でなくてマラソンクイズ。大西洋を渡ったロンドンでは迷路を使ったバラマキクイズ。ドーバーでは奇人変人を集めたゲストクイズ。そしてパリ目前の○×クイズ。

 決勝はパリ。10点先取の早押しクイズ。優勝賞品はウェットタイプの潜水艦でした。

■ルートガイド
より大きな地図で 第9回アメリカ横断ウルトラクイズのルート を表示

ぼくはシンデレラボーイ

 みんなぼくのことをシンデレラボーイといいますが、ぼくもそう思います。でもぼくは埼玉大学のクイズ研究会に入っていますから、少しはクイズの勉強をしていたつもりです。ウルトラクイズは前からよく見ていて好きな番組でしたが、この回はクイズ研究会のサークル活動として、全員でウルトラクイズに出ることになったのです。後楽園に行くとすごい人でした。こんなに人がいるのだから、とてもだめだなあと思いました。後楽園は暑かったです。

 最初のゲートで出る問題「パリのエッフェル塔に正面はない、○か、×か」はみんなで考えました。○へ行ったら正解で、とてもうれしかったです。

 グラウンドでクイズが始まりました。人が多くて走るのがたいへんでした。3問目の「オリンピックで、日本がもっともメダルを獲得したのは、昨年のロサンゼルス大会であった」では、みんなだれかにつられたようで、ほとんど落ちてしまいました。でもぼくはうっかりしていて、みんなとはぐれてしまい、それが幸いして残ってしまいました。それからはぼく1人です。夢中で走りました。そして運だけで最後まで残ってしまいました。でもクイズ研究会のみんなはもう帰ってしまい、後で開かれた説明会もぼく1人でさみしかったです。

 ぼくだけ後楽園予選を通過してしまったので、みんな本当にびっくりしました。お父様もお母様もびっくりしました。でもいちばんびっくりしたのはぼく自身でしょう。どうせすぐ落ちると言われましたが、クイズ研究会のみんなからは「おまえ1人がぼくらの代表だ、がんばってくれ」と言われて、背中にずっしりと重いものを感じながら、成田空港へ行きました。

 ぼくはジャンケンが超不得意なので、ジャンケンはいやだなあと思っていました。そして思ったとおりジャンケンでは1回も勝てず、負けてしまいました。

 けれどぼくの回は敗者復活戦があって、10人も残れることになりました。クイズに答えるには、荷物が重い人から順番にいい席につけるのです。これはしめたと思いました。お母様が梅干しや目覚まし時計やインスタントラーメンを作る電熱器まで詰めてくれたので、ぼくの荷物はとても重かったのです。それで前の方に座れました。そしてクイズに答えて飛行機に乗れるようになってしまいました。歴代クイズ王の中でも、ジャンケンに負けて飛行機に乗れたのはぼくだけでしょう。最初からとてもついてました。

 

 

公共の宿

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