※コース概要
1978年、後楽園球場に集まった参加者は700名。○×クイズで100名に。この回からは成田空港。ジャンケンののち、機内では500問のペーパークイズ、40名に。サイパンでは○×クイズ。ハワイはフラダンスを見ての記憶力クイズ、10名に。
本土上陸はサンフランシスコ。マリンワールド・アフリカUSAの象のステージで三択インスピレーションクイズ。避暑地として有名なレイク・タホへ。タホ湖のほとりでリレークイズ。次のリノはカジノの町。カジノを借り切ってのギャンブルクイズ。山岳地帯のデンバーでは、富士山より高い山の上で酸素欠乏耐寒クイズ。
シカゴでは当時珍しかった宙返りジェットコースターの前で、日本の家族を相手に国際電話連想クイズ。ナイヤガラの滝では早押しクイズ。準決勝地はボストン。熱気球ダウンアップクイズ。ついにニューヨーク、パンナムビル屋上での早押しクイズ。優勝賞品は家族とのニューヨーク旅行。クイズ王の待つニューヨークへ家族が飛んできました。
■ウルトラクイズとの出会い
友達同士で集まってクイズ大会を開くとき、あるいはひそかにウルトラクイズ対策を練るとき、そんな君のウルトラクイズライフに欠かせないのはBGMだ。中には番組のビデオから曲の部分だけをカセットにダビングして聞いている人もいるらしいが、それではナレーションなんかが入っていてうるさいんじゃない? そこでクイズ王が、ウルトラクイズのBGMの原曲を教えてあげちゃう。
そのころの僕は、77年2月にパネルクイズアタック25に出場、初優勝して4月にはパリ旅行へ。ちょうどクイズの魔力にとりつかれたころでした。初代クイズ王の松尾さんは、このパリ旅行でご一緒させていただいた方だったのです。その松尾さんが「日本テレビのウルトラクイズでアメリカへ行っている」という報せを受けたとき、僕はなにがなんだかわかりませんでした。なにしろ、当時のクイズは(今もそうですが)、番組に出て優勝した人が海外へ行けるのであって、見たこともないクイズ番組でどうしてアメリカ旅行かと、本当に不思議でした。
秋口に松尾さんから「いついつ放送です。見てください」とのハガキが来ました。そして、そのコペルニクス的転回クイズ番組「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」は、77年10月20日木曜日午後7時30分、僕の目に飛び込んできたのです。
一言で言えば「衝撃」でした。「テレビに釘付け」という形容そのものでした。なまじ多少なりともクイズ番組を知っていましたので、なおさらだったのでしょう。従来のスタジオの枠を越え、アメリカ各所で激しく繰り広げられるクイズ戦。涙ながらに帰る敗者。しかも優勝したのが一緒にパリへ行った松尾さんだった……。興奮しました。感激しました。どの場面もどの場面も目に焼きつきました。摩天楼で踊る松尾さん、想像を絶する賞品である、ラスベガスの土地を踏み締めて歩く松尾さん……。
感激したのと同時に悔やみました。あんなにクイズが好きで毎日テレビを見ていたのに、どうしてこんなすごいクイズ番組の応募を見過ごしたのだろうかと。第2回があればいいな、そうしたら絶対に出てやるのに、でもあれは単発番組だったからな、ニューヨークなんて言わないから、少しでも先へ行ければいいからウルトラクイズに出たいなと、そう、祈りにも似たような気持ちを持ちつつ、あの年は過ぎていきました。
■工事現場の片隅で
僕は建設会社に就職しました。見習いの現場監督として建築現場に配属されました。大学の専攻が建築だったので、当然の職業とはいえ、とにかく僕には向いていませんでした。ようやく人々が起きるころには家を出て、作業員相手に身体を動かして仕事をし、あたりが真暗になったころ仕事が終わって、現場の片隅でシャベルを洗っていると、辞めたい気持ちはいやでも高まってきていました。
78年6月のある朝6時過ぎ、出勤前になにげなくつけたテレビでやっていた番宣スポット。あの仕事だったからあんなに早朝のテレビを見れたのだけど、なんとウルトラクイズの募集をしているではありませんか。さっそく宛先をビデオに録画し、応募しました。
78年9月2日土曜日、これが後楽園予選の日でした。当然会社はありましたが風邪をひいたとか言って休み、妹の洋子が見つけてきた胸にニューヨークの地下鉄路線図が載っているTシャツを着て、一緒に後楽園へ行きました。
第1問「ニューヨークの自由の女神がたいまつを持っているのは左手である(×)」と、今から見れば信じられないような簡単問題が出て、夢にまでみた僕のウルトラクイズは始まったのです。そして第7問「トランプのハートは心臓を表している(×)」で間違えてしまいました。しかし敗者復活戦となり見事クリア。そう、「あの」ウルトラクイズに出れることになってしまったのです。
■決断の時
1年前、僕の目の前にフッと現れては消えていった、ゆきずりの恋人ウルトラクイズ。しかし今、恋い焦がれていたウルトラクイズはとりあえず僕の手の中にあります。少なくとも成田空港までは行けるのです。
でも僕は悩みました。もらった日程表を見ると、9月9日夜成田に集まり10日にサイパンへ。以下仮に優勝して帰国するとなると10月1日着と、3週間も日本をあけることになります。親でも死なない限りそんなに休める会社ではなく、仮に死んでも休みは1週間くらいしかもらえないでしょう。僕はニューヨークまで行くことを前提に、参加したかったのです。
この仕事に向いてなく、前から辞めたいと思っていましたので、後楽園通過は一つのきっかけでした。夜、現場の仕事が一通り終わって飯場で書類整理をしている時、思い切って現場所長に話をしました。「ちょっと個人的なお話があるのですが」と。
「じゃ、あっちへ行こうか」所長は話の内容を察したらしく、他の社員から目の届かない部屋へ僕を連れ、裸電球の下、2人で椅子に腰掛けました。「どうにも向いてませんから、会社を辞めさせていただきたいのです」と切り出しました。
所長は、いつも苦虫をかみつぶしているような、こわい顔の人でした。僕はひどく怒られるかと覚悟していました。それでも一度決めたのだから、なにがあっても辞めると決心していました。しかし、所長は意外にもやさしい顔で、
「一度きりの人生なんだ。嫌いなことをやって一生を過ごすより好きなことをしなさい」
と、あっさりと認めてくれたのです。
9月9日土曜日、所長と本社へ行って辞表を提出。話はすべてつけられていたようで、すんなり受理されました。飯場へ戻り、身の廻りの物を整理して、僕は工事現場を去りました。同時に東証1部上場企業社員の身分もなくなりました。まったくの、タダの、北川宣浩という個人になって家に帰ったのです。あるのは、ウルトラクイズだけでした。
■順調なスタート
その日は日本テレビに集合する日でもありました。飯場から持ち帰った荷物を家に置いて、今度は用意してあった海外旅行のスーツケースを手にして、一緒に後楽園を通っていた洋子と日本テレビへ行きました。
バスで成田のホテルへ。眠れない夜を過ごし、9月10日朝5時に起床。そしてジャンケン。去年テレビで見たあのウルトラクイズは、僕の前でどんどん始まっています。しかもエントリーナンバー1の洋子が、最初のジャンケン敗者になってしまったので、なにがなんでも勝ってやろうと、闘志が沸いてきました。
僕の番が来ました。
「勝つ、勝つ、勝つ」
そうわめきながら、壇上にあがりました。ここで負けては、明日からどうしたらいいのかわかりません。3点先取のジャンケンに最初負けました。しかし、大声で「ジャン・ケン・ポン」とわめいたのが効いたのか、見事勝つことができました。この時は本当にうれしかった。福留さんに抱きついて喜びました。クイズは自信があったものの、ジャンケンだけはコントロールのしようがありませんでしたから。
洋子にみやげを頼まれてサイパン行きの機内へ。500問のペーパークイズも時間内におさめ、トップで通過。僕のウルトラクイズは、順調にスタートしたのです。
■帰れない旅
9月11日月曜日、サイパンのコンチネンタルホテル前の砂浜では、○×クイズが始まろうとしています。並んでじっと立っていると、みるみる肌は赤くなっていきます。本来なら現場で働いているはずなのに、クイズをしている……。暑さと緊張、そしてほんの少しの後ろめたさと、あとには引けない怖さが入り交じって、許されるなら倒れたいくらいでした。
○×クイズの3問目「サメにエラはない」で僕は×をあげました。しかし正解は○。一瞬信じられませんでした。もう負けてしまったのです。明日からバイトしなきゃ。そんなことが頭をかすめます。親にも申し訳なく思いました。でも幸運にも不正解者があまりにも多かったため、敗者復活戦になったのです。
敗者復活戦はサイパン国際空港の前での数字カルタ取りクイズ。問題がすべて数字で答えられるようになっており、その数字のカルタを取れば勝ち進める形式です。
問題「ハワイの頭文字はHですが、Hはアルファベット何番目の文字?」
僕は飛びました。中学のクラスがG組まであって7組でしたので、Hは8。そんな連想から即座に答えを導き出し、8のカルタめざして飛んだのです。
正解!。よかった。本当によかった。僕は負けられないのです。自分のわがままを通してここまで来たのだから負けられない、そう思いました。僕は帰れない旅に出ているのでした。
その後、ハワイ、サンフランシスコ、レイクタホ、リノ、デンバー、シカゴ、ナイアガラと、ほとんどトップで勝ち進んで行きました。
■土壇場の危機
勝ち残った4人は、ニューヨークの1つ前ボストンで、熱気球に乗ってする「バルーン・ダウン・アップ・クイズ」を行いました。
しかしこともあろうに、一問目を間違えたのは僕だけでした。みんなのバルーンは少し下がって地面に近づきましたが、僕のバルーンだけ上がってしまいました。もし間違え続ければ、そのままどこかへ飛んでいく趣向なのです。せっかく今まで順調に勝ってきたのにニューヨークを目前にして敗れるなんて……。今まで、なんのために勝ってきたのだろう。最後の最後まで来たところで負けて、一番みじめな思いをするために、ここまで来たような気がしました。 しかし、まだ諦められません。次からは全部正解してやれ。逆境になれば僕は燃えます。めったに出さない根性を出しました。気合を入れました。
まず、お姉さんの間下由美子さんが通過しました。気球から降りた彼女が、福留さんのインタビューに大喜びで答えているのが上から見えます。ニューヨークに行けるのはあと一人です。あと1問で合格する内田君が奇跡的に間違えてくれて、僕と並びました。俺はハンパな気持ちでクイズをしているのじゃない。最後まで絶対に負けられない。そう強く思いました。
僕と内田君はその後の問題には正解を出し続け、そして「問題、メリケン粉とうどん粉はまったく同じである」
僕は○、内田君は×、正解は○。
気球の上で大声で叫びました。
「ニューヨーク、ニューヨーク!」
ついに、ニューヨークまで足を運べることになったのです。
■優勝の瞬間は家族へ同時中継
9月26日夜、ニューヨークに到着しました。世界の中心、自由の女神のある都市、夢がかなうところ。そんな一般的な表現よりも、僕にとっては松尾さんが踊った街、ニューヨーク。
翌27日、午前中はヘリコプターシーンの撮影をしました。午後、パンナムビル内のレストランで食事。そして屋上へ。これが1年前テレビで見た栄光のパンナムビル屋上か。薄曇の中、周囲を眺める余裕もなく、クイズボックスに着席。ボタンに掛ける指がブルブル震えました。
この時の賞品は家族とのニューヨーク旅行。勝ったほうの家族2名を即座にニューヨークへ呼ぶという企画で、僕の母と妹の洋子、そして間下さんのご両親が成田で待機しており、国際電話回線を通じてクイズの模様は同時中継されています。
決勝戦の相手間下さんは、きょうだい3人で参加していたクイズ一家。僕も妹と参加したクイズファミリー。まさしく宿命の対決と言えるでしょう。いざ本番が始まると、ボタンを押す勇気が出ず、多くの問題をパスしました。しかし最後には経験がモノを言ったのか、勝利を手にしました。去年テレビを見て、なんてすごい番組だろう、このクイズに勝つ人はどんなにすごい人だろうかと思っていたその人に、今自分がなったのです。
■母と妹でニューヨークめぐり
1日おいた9月29日、祝賀パーティの撮影になりました。そこで母と、成田でいの一番に落ちた洋子に引き合わされました。2人とも生まれてはじめての飛行機、そして海外旅行。本当は偉くなって自分の力で連れてきたかったのですが。いや、それが早くも実現したというべきでしょうか。
アメリカ人女性から飲めないお酒を飲まされたとき、母が出てきて「もう飲ませないでください」と言ったのにはまいりました。母は前年に松尾さんがフラフラになった話を聞かされていたのです。母のやさしい気持ちは嬉しかったのですが、どうにもカッコ悪く、プロデューサーにこのシーンだけは放送しないでと、頼んだ次第。
パーティ会場であるブロードウェイのレストラン「サルディス」からロールスロイスに乗って、セントラルパークに面した高級ホテル「エセックスハウス」に。その中でもスペシャルスィートである1201号室「ウェリントン卿の間」に泊まらせていただきました。なにしろバスルームだけで3つもある豪華な部屋。あっちの部屋こっちの部屋と歩きまわりました。そしてセントラルパークやメトロポリタン美術館をめぐり、ほんの2日ばかりでしたが家族そろってのニューヨーク旅行をさせていただきました。
■旅を終えて
恋い焦がれていたウルトラクイズに勝ったのは、信じられない出来事でした。愛すれば気持ちはきっと通じる。神様は本当にいて、情熱を捧げ、一生懸命やった人には光を投げてくれる−−。そんな気がしました。開けて79年4月、広告会社に就職し、今度は好きな広告の仕事を始めました。この仕事は向いているようで今も続けています。
そしてウルトラクイズに優勝したのが効いたのでしょう、他のクイズ番組でも一目おかれてしまい、何度予選に申し込んでも出れなかったり、逆にチャンピオン大会に特別に呼ばれたりするようなこともありました。さらに新聞・雑誌などにクイズ問題を寄稿したりクイズのハウツー本を2冊も出版するなど、僕のクイズライフはとても充実しました。
さて、あれから10年近い歳月が流れました。振り返ってみても、あのときウルトラクイズに参加した決断は正しかったと思っていますし、いい決断だったと思っています。後日談ですが、前の会社の社長がこの番組を見て「こんな番組に出るのだったら、いくらでも休みをあげたのに」と言ったとか。
一方、先日ある人から皮肉まじりに「またクイズに出るため会社を休むかね」と聞かれましたが、もうそんな気はありません。僕が今、あの時の気持ちになって挑戦し、情熱を捧げなくてはならないものは、仕事であり現実の人生なのです。
85年でしたか、ミュージカルの「マイ・ワン・アンド・オンリー」を観に行ったら、偶然高島忠夫さんにお会いしました。高島さんは僕のことを覚えていてくださり、
「そうか、今広告の仕事をしているの。それじゃ、その仕事でも日本一になってね」
とおっしゃってくださいました。なにげない言葉でしたが、胸に響きました。なにか小さなもの、どんなにか小さなものでも、日本一になる。僕はあの瞬間は日本一になっていたのです。そのささやかな自信と、一生懸命の人には神様がほほえんでくれることを信じ、これからの人生を切り拓いていこうと思っています。
第2回のオープニングをYouTubeで見る
あのBGMの原曲は?
1. オープニングの後楽園球場の曲は?
オープニングで福留アナの「やってきましたウルトラクイズ……」というナレーションにのって、開場前の後楽園球場が映るときの曲は、ブルム・グループ・プロダクション(A Blum Group Production)制作の映画「SKATEBOARD」の「テーマ・フロム・スケート・ボード(Theme from Skateboard)」(音楽:MARK SNOW)映画の日本語題名は「スケボー・キッズ(ビデオがあるが入手困難)」。ウルトラクイズのサブテーマ曲でもある。レコードしかなく入手はかなり困難。

訃報
この映画のプロデューサーであるHarry N. Blum氏は、2004年1月18日、心不全のため、アメリカ・ロサンゼルスで亡くなった。71歳。(1932年10月3日オハイオ州生まれ)
2. タイトルバックに使われている澄んだトランペットのあの曲は?
ニューヨークの空撮映像をバックに、福留アナのナレーションにエコーがかかって「史上最大!、第○回、アメリカ横断、ウルトラクイズ〜」とタイトル文字が出る。このウルトラクイズのテーマ曲は、メイナード・ファーガソン(Maynard Ferguson)のLP「Conquistador カンクエスタドール(日本語で征服者の意味)」の収録曲「テーマ・フロム・スタートレック(Theme from Star Trek)」です。
訃報
メイナード・ファーガソン氏は、2006年8月23日に腎臓疾患と肝臓疾患のため、アメリカ・カリフォルニア州の病院で亡くなった。78歳。(1928年5月4日カナダ・モントリオール生まれ)
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メインテーマのラストはメイナード・ファーガソン「This Is Jazz, Vol. 16
」に収録されている「チャシャ猫の歩き(The Cheshire Cat Walk)」のコーダ部分を利用している。10分の曲のラスト5秒。 「Hot」にも「テーマ・フロム・スタートレック(Theme from Star Trek)」が収録されている。 | ||
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![]() 1曲単位で購入できる。 |
| James Lastの別のアルバム「Spring Fling」にもファンタジーが収録されている。 |
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サウンドトラックはレコードしか出ていない。入手はすごく困難。 | ||
※いずれも、古いレコードやBGM用に作られた特別な曲から選曲されているので、根気よく中古店を探してください。それでもないかもしれません。
これ以下は2005年1月以降の加筆である。
アメリカ横断ウルトラクイズで使われた曲について、私の本「TVクイズまる金必勝マニュアル」で少し書いたところ、これに触発された人も多かったようで、さらに独自に調査されレコードを買い集めた人もいらしたようだ。
BGMに絞ったホームページもいくつかでき、熱心なういんちゃんの「ウルトラフィルハーモニー」は私も参考にさせていただいた。まさとさんの「アメリカ横断ウルトラクイズサウンドミュージアム」は番組からのサンプリングや耳コピーなどで構成されており、努力と才能に頭が下がる。
実は日本テレビはオリジナルサウンドトラックと銘打ったCDを第16回の1992年秋に出している。が、この「アメリカ横断ウルトラクイズ」は、テーマ・フロム・スタートレック以外はほとんど番組で使われたことのない曲ばかりで、おそらくウルトラブームにつけいって一儲けしようとして出したモンキービジネスのように思える。ひっかかって買った友人に聞かせてもらったが、このCDのために番組で使った逆のケースの曲もあったようだ。これがここに紹介しているようなかなりの曲を網羅しているCDならば、私を含めてレコード探しの苦労をした人は少なかったろう。版権などの問題があったかもしれないが。
レコードの時代が終わって、長らくこれらの曲はCD化されていなかったのだが、原盤の保存もままならなくなったようで、この何年かに急にCD化され始めたように感じる。おかげでいくつかの曲を除いては、比較的容易に入手できるようになった。しかもインターネット通販で入手できる功績はきわめて大きい。
ウルトラクイズの復活や、せめて過去の番組をDVD化して発売してほしいという声も聞く。が、しばらくはこれらの曲を聴いて、あのときのワクワクした気持ちを甦らせ、四半世紀前へと旅立つこととしよう。
6. 勝ち抜けの曲は?
CD[グローフェ(Grofe):ミシシッピー組曲/組曲「グランド・キャニオン」/組曲「ナイアガラ大爆布」]の中の<ミシシッピー組曲(Mississippi Suite)>のうち、「ハックルベリー・フィン(Huckleberry Finn)」「マルディ・グラ(Mardi Gras)(懺悔火曜日)」の2曲が使われている。
2005年には役所広司が出演するANA(全日空)の「エコ割」のCMのBGMに使われ、脚光を浴びた。そういえば全日本空輸はウルトラクイズの提供スポンサーだった。
これらはiTunes Music Storeで1曲単位で購入できるので、iPodなどをご利用の方には便利だろう。

7. 成田のホテルでジャンケンに勝った勝者が成田空港へ行くときに乗るバスで流れる曲は?
ジョージ・マーティン(George Martin)の6枚組CD集ジョージ・マーティン・ボックス・セットにある、ロン・グッドウィン作曲の「マーダー・シー・セッズ(Murder she says)」。4枚目のディスクに収録されている。
このCD集のDISC1に収録されているCrazy Rhythm(Max Geldray)はアレンジこそ違え、勝ち抜けジングルの曲である。
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9. 勝者たちが次のチェックポイントへ向かってバンザイをするときの音楽は?
Meco(ミーコ)のENCOUNTERS OF EVERY KINDに収録されているCrazy Rhythmの後半を使っている。LPしか出ておらず日本では入手が極めて困難だが、アメリカのインターネットオークションebayでは容易に入手できる。

10. 罰ゲーム開始のがっくりくる音楽は?
レニー・ホワイト(Lenny White)の「Big City」である。同名のアルバムが出ている。曲の最初のごく一部だ。
11. 番組提供スポンサー(全日空やサントリーなど)を紹介するときのバックに流れる軽快な曲は?
ランディー・ニューマン(Randy Newman)のアルバム「Ragtime (Music from the Motion Picture)」の中の「Clef Club No. 2」である。
12. 成田から飛び立った飛行機の中で行われる、機内クイズのスリリングな曲は?
ose(オズ)のアルバム「ADONIA(惑星アドニア)」の中の「ORGASMACHINE(オーガス・マシーン)」である。入手はものすごく困難。
しかしながら他の曲は番組では一部しか使われていないのに、この曲は機内クイズのシーンの間ずっと流れておりLPの聞き応えがある。テストのときに脳裏に自然と流れてしまう。

13.西部でよく聞くカントリー調の勝ち抜けジングルは?
The Dillards(ザ・ディラーズ)のベスト版 「There Is a Time (1963-70)」に収録されているHamilton County Breakdownだ。
14. ニューヨーク決勝がいよいよ始まる「ボタンに手をかけて!」で流れる、緊張感ある音楽は?
松岡直也の「Wind Whispers」に収録されているThe Myth of Egypt(エジプトの伝説)。ドラムが効いている。
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