アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
ナイアガラの滝

決闘、リバティ島……………第10回/森田敬和(2)

執念の腕相撲

 成田では当然ジャンケンとばかり思っていました。しかしなんと腕相撲ではありませんか。最初の1人が勝って飛行機に向かうまで信じられませんでした。自分の順番が回ってきた時も自信がなく、相手の腕の太さが自分の3倍にも4倍にも見えました。弱気になってはいけない、気迫で負けてはいけない、そう思っておもいっきりの力を出しました。勝ったのです。倒れている相手の腕を見て信じられない気持ちでした。普通だったら勝てなかったかもしれません。火事場の馬鹿力、執念で勝てたのでしょう。終わったあと、僕の麻のシャツは汗でびっしょりでした。

 ここで安心したのがよくなかったのでしょうか、僕は次に失格してしまったのです。「8年前成田空港が開港して、初めてお客を乗せて飛び立った飛行機はグァム行きだった」○か×かという問題が出され、○機×機という2機の飛行機が用意されていました。○機が正解だったのに、僕は×機に乗ってしまったのです。機内のペーパークイズ上位10人が敗者復活できたのですが、時間のミスで最後の方ができなくて自信は全くありませんでした。無事通過した時はうれしい気持ちとこれからが勝負という気持ちで一杯でした。

 グァムでは恒例となったドロンコクイズ。ここでまた僕は失格してしまいました。ドロにつっこんでしまったのです。この時は本当にあきらめました。これで僕のクイズは終わった、そう思いました。しかし何ということでしょう、2人多くドロンコになったため、敗者復活戦があったのです。サドンデスの○×クイズをして、そこで生き残ったのが僕とナイアガラまで行ったフトン屋の小倉さん。ドロンコと一緒に僕たちは運までもらったのかもしれません。

 ハワイでは所持金で4チームに分かれる綱引きクイズをやりました。僕はまる金チームになれたのですが、実際は決してまる金ではありません、念のため。

 シアトルからモハーベ砂漠へと向かい、ここではゲストクイズが行われました。三択クイズだったのですが何をあげてもハズレばかり。とうとう僕と早稲田の中村君の2人だけになってしまいました。五分と五分どちらが勝てるかは、本当に運だけです。福留さんから僕の方が正解と言われたときは、神様がまだ僕を見捨てないでいてくれたのだと思いました。僕はどちらかというと無神論者です。けれどその後のチェックポイントで勝ち残っていくたびに何か神様が「敬和、まだ先へ行っていいよ」そんなふうに言ってくださっているような気がしました。 次のロサンゼルスでは時間があったためディズニーランドへ行きました。当時東京ディズニーランドにはなかったマイケル・ジャクソンの「キャプテンEO」も、一足早く見ることができました。それからモニュメントバレー・エルパソ・ダラスと3連続で体力クイズが続きました。若い人達は平気だったみたいですけど、最年長の山本さんは随分こたえたみたいです。

クイズ南北戦争

 次のアトランタでウルトラクイズ始まって以来南北2つのコースに分かれることになりました。一抜けした僕は迷わず南米コースを選びました。帰国後、多くの人からなぜ南米を選んだのかと聞かれました。北米ならこれからでも行けるチャンスはあると思いますが、ブラジルはともかく、ボリビアはひょっとすると死ぬまで二度と行くことはないと思ったからです。僕は南米のほうにロマンを感じたのです。クイズが終わると11人いた仲間が一挙に5人になりました。妹のように思っていた豊田訓子ちゃんは落っこちてしまいました。弟分の丹野君は北米へ行ってしまいました。ホテルマンの村山君もフトン屋の小倉さんも慶応の渡辺君も、そして最大の強敵西澤君も北へ行ってしまったのです。この旅行中でこんなに淋しい思いをしたのも初めてでした。

 

 

公共の宿

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