アメリカ横断ウルトラクイズ
クイズ王の本

歴代クイズ王が語るウルトラクイズ必勝法
「知力・体力・時の運」次のクイズ王はあなた!かも、しれない?

クイズ王の会/篇
©北川宣浩・森田敬和 1987
グアム

度肝を抜かれたクイズ旅………第1回/松尾清三(3)

夢見るようにニューヨーク

 ニューヨークに着いた夜、家へ電話しました。次女の絵里(当時6歳幼稚園児)の「オトウチャン、ハヤクカエッテキテホチイ」という甘え声にはホロリとしました。現在、花の高校1年生ですが、私とは相性が悪いのでしょうかツンツンプリプリ、ろくろく口も聞いてくれません。淋しいもんですわ、アッハッハ。

   

エンパイヤ 今日は僕らの アンパイヤ(ニューヨーク)
 決勝戦の相手は滋子さん。私より一回りも若いのに、クイズのキャリアも実績も実力もはるかに上でした。グァムの浜辺の○×クイズで一旦落ちたものの、すぐ敗者復活戦でカムバックしてからは勢いに乗り、それ以後はまさしく破竹の進撃。いつもトップ当選で、圧倒的な強さを見せつけていました。しかし、さしもの彼女も緊張していたのでしょう、第1問目はお手付き。私は無心で戦ったのがよかったのでしょうか、真珠湾攻撃とか、軍艦マーチとかの古臭い問題が出たのがよかったのでしょうか、何とか10問先取し、優勝してしまいました。終わった瞬間は、うれしいというより、緊張よりの解放感で、むしろホッとした気持ちでした。

「松尾さん、全身で喜びを表してください」
福留さんに言われ、私はパンナムビルの上で思わずルンルン踊りを披露してしまいました。

優勝の 美酒多すぎて 目を回し(ニューヨーク)
 その夜の祝賀パーティの席上で、優勝賞品であるラスベガスの土地1エーカー(約1226坪)の権利書を手渡されました。

SOLD(売約済)の 立札一つ 砂と空(ラスベガス)
 ラスベガスの土地をいただけるので有頂天になりました。将来はうちの材木で日本料理店でも建てようと思って張り切って行ったのですが、着いてビックリ、なんと砂漠のどまんなかではありませんか。スタッフのブラックユーモアに「やられた!」と思いましたが、それでも私は夢とロマンという大切なものをいただいたと思っております。現在でも土地の権利書は手放さずに大切に保管しており、時々虫干しを兼ねて取り出しては、私の命の次に大事な土地が、核実験による死の灰に汚染されとりゃせんか、誰かゴミ捨て場にしとりゃせんかと、くだらぬ心配をして楽しんでおります。

楽しい思い出、時を越え

 

 この旅をして一番良かったのは、多くの人たちと知り合えたことです。10年たった今も、参加者の皆さんとは仲良くさせてもろてます。只で海外旅行をしたということで、ロハクラブという会を作りましたし、クイズ仲間の代表として滋子さんの結婚式にも招待されました。それから私以来関西からクイズ王が出ておりませんので、ウル西会(うるさいかい)を創設し、会長に就任させられました。

 この親父の影響でしょうか、息子の豊史がクイズに興味を持ち、全国高等学校クイズ選手権に2回も参加しました。来年88年になれば豊史も高校を卒業し18歳になります。そうすればウルトラクイズに参加できますから、親子でクイズ王という、輝かしい記録が生まれるかもしれません。参加者が2万人近くにもなった今、それは難しいでしょうね。私の3週間の旅を許してくれた、今は亡き親父、愛する奥様、そして2人の娘と息子よ、本当にどうもありがとう。最後に、私が作ったウルトラクイズ折り句を捧げ、つたない一文を締めたいと思います。

ニ  二十余日の長い旅
ホン ほんとにどうもごくろうさん
テ  転戦実に十一度
レ  レース往復八千里
ビ  びっくりしたよ じゃんけんにゃ
モ  もうこうなれば やけくそだ
ク  くそったれめと にらんだら
ヨ  4連勝で ゲートイン
ウ  海はコバルト グァムの浜
ス  すてきな気分で 遠泳だ
ペ  へこたれまいぞ 長丁場
シ  静かな闘志 胸に燃ゆ 
ャ  やあやあアロハ ハワイだよ
ル  ルール変わって ボタン押し
ア  あわてふためき ミスばかり
メ  目玉クラクラ カタマラン
リ  立派なクルマでお出ましの
カ  カーターさんのガセネタに
オ  俺はとび出て握手した
ウ  嬉し涙の スタッフさん
ダン ダンダンひびく 銃の音
ウ  ウワーと襲う インデアン
ル  ルールによりて 罰ゲーム
ト  とっつかまって ザ・エンドー
ラ  ラクチンラクチン ヘリコプター
ク  雲にそびゆる エンパイヤ
イ  粋な姿の 女神様
ズ  ズーッと回って パンナムへ
バン バンザイ!ヤッタ! 優勝だ!
ザ  さてごほうびと ふたとれば
イ  一エーカーは 砂と空

 おそまつ。    

 (松尾氏の川柳は数字の表記を含めて原文のママ)

公共の宿

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