TVクイズまる金必勝マニュアル

名人が教える150のノウハウ

©北川宣浩 1985
表紙

ぼくの クイズものがたり(2)


 自分の新しい人生を大好きなクイズで切り拓けたことは、大きなエポックでした。クイズの友人も増え、世間でも充分に顔を知られるようになりました。しかし、ウルトラクイズで得た名声?と、これといった定職を持たずバイトで日々を暮らす現実のギャップは精神的にかなりの苦痛でもあり、つてを頼って放送プロダクションに声をかけたり、新聞の求人広告を見ては、出版や広告の会社に応募してもみました。ようやく年も明けた春、自宅から極めて近い場所の広告代理店から採用通知が来ました。クイズをやっていたためか、入社試験が非常に簡単に感じた会社でした。ま、今もこの会社に通っていますが。

 広告の仕事にも慣れた79年10月、ベルトクイズQ&Q(TBS・終了)に出場しました。この番組は主婦向けのためかクイズマニアはあまり出場させてくれず、ぼくも4回も予選を受けた末の出場でした。景気よく勝ち進み優勝するつもりになってきたころ、なんと局は対戦相手の女性に有利な問題ばかり? を出してきたのです。結局53万円の獲得で終わってしまい、クイズなんてしょせんはテレビ局の芝居なんだなーと痛感したものです。

ベルトクイズQ&Q

 一方、ぼくはただのクイズマニアで終わるつもりはなかったから、かねてからクイズのノウハウを本にまとめたいと考えていました。自分がやってきたクイズのノウハウを広く皆さんに知ってもらい、役立てて欲しかったのです。出版関係の知人の口利きで(株)朝日ソノラマが出版化してくれることになり、このころから執筆に取り掛かりました。1年後の80年12月、処女作「TVクイズ大研究」が書店に並び、物書きの仲間入りもできてだいぶ有頂天になり、こわいものなしになりました。しかもこの年の夏には、何度出ても勝てなかったクイズグランプリの特別番組に呼ばれ、賞金の百万円を獲得してもいましたし、秋の第4回ウルトラクイズではグァムまででしたが、再び海外脱出に成功し、クイズの仲間も増えていきました。81年の上旬には本を読んだ読者から「おかげ様で優勝できました」など、かなりの反響を得、さらに新聞・雑誌などからもクイズの原稿を依頼され、ますます調子づいてきました。ぼくにとってクイズは、ただテレビに出るだけの行為でなくなっていたのです。

グアムどろんこクイズ

 反動もありました。もともとナマイキなのですが、それに輪がかかり、あるいは勝てない人のやっかみも当然あり、それらが入り混じって、だいぶいろいろ言われるようになりました。でも、認めてくれる人はあくまでぼくを認めてくれました。アップダウンクイズは「北川さんは両極端ですなー。神様みたいに思うとる人がいるかと思えば、クソミソに言う人もおる」といいながら、再び出してくれ(81年5月)、今度は二度も「お出」になったのにもかかわらず優勝させて貰いました。その録画の前日には三枝のホントにホント(テレビ東京・終了)でもハワイ旅行を獲得しており、2日続けて「優勝ハワイ旅行」の快挙を成し遂げるに至りました。こちらのハワイ旅行は両親に譲りました。さらにホントにホントのスタッフからは「キミはよく知っているから問題作りに参画してくれないか」とお誘いもいただき、クイズ番組の問題作りまで手掛けるようになったのです。

 81年夏、「アップダウンクイズに優勝した女の子でウルトラクイズに出たい子がいるから、一緒に後楽園を走ってくれないか」と友達がその子を連れてきました。キュートな子で二人はたちまちフィーリングが合い、付き合うようになりました。すでにぼくには出れる番組は殆どない状態でしたが、テレビに出なくてもクイズで遊ぶ方法を充分知っていましたので、彼女を交えてクイズを楽しみました。82年3月には彼女と一緒にアップダウンクイズハワイ優勝旅行へ。奥さんもクイズで賄えるかな、と期待していたのですが、その後些細なことの積み重ねで二人は破局を迎えました。

ハワイ旅行

 会社の仕事が忙しくなるにつれ、また、他のものに興味が向きはじめたにつれ、クイズの実戦能力がだんだん落ちていくのに自分でも気がついてきました。なにごとにもピークがあるように、ぼくのクイズ能力もピークを迎え、衰退しはじめたのでしょう。また、周囲にクイズに強い若い人たちが現れてもきました。後で聞けば彼等はTVクイズ大研究を読んで育った世代です。彼等が迫ってくるのは時間の問題でした。83年夏、アップダウンクイズの20周年記念大会に「北川さんは実績を認めます」ということで出場させて貰いましたが、7問で止ってしまいました。84年2月はクイズ・ミスターロンリーに出てこれも7問でアウト。こちらは明らかに勉強不足で、以前なら当然調べて臨んだことを調べもせずに出場、つまらないミスをしてしまいました。実戦から退く時期がきました。

 最初にことわったとおり、ぼくはそう強いクイズマニアではないでしょう。でもクイズに賭けた情熱だけは誰にも負けないつもりです。ぼくを努力型のクイズマニアだと言う人もいますが、努力したつもりはありません。ただクイズが好きで、明けても暮れてもクイズで遊んでいただけです。子供のころからの、熱中したらとことんやる、その変わらない精神で楽しんでいただけです。

 この本ではそんな経験から生まれたクイズの楽しみ方、ノウハウ、そして無駄話を皆さんと共に遊ぶ、そんな気持ちで書いていきます。さぁ、どんな話が飛び出すか、お楽しみに。

※この本は、読者の皆様がクイズ番組を一通りご覧になっていることを前提に書いていきますので、個々のルールの説明などはいたしません。また、番組や問題のデータは85年6月現在のものです。その後、世の中の移り変わりとともに変更があるはずですので、ご了承ください。

 

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