シャーロック・ホームズ:新訳リブート

Sherlock Holmes: Rebooted Classics

— 現代の日本語でよみがえるホームズの物語 —

サセックスの吸血鬼

THE SUSSEX VAMPIRE

―血に濡れた誤解と、母の祈り―

第5章 家族の再生と、探偵の静かな手紙

 部屋に入ると、ベッドの上で夫人が身を起こしていた。
 ファーガソンが数歩近づくと、彼女は手を伸ばして拒絶した。
 彼は肩を落とし、椅子に沈んだ。
 ホームズは丁寧に会釈し、彼の隣に座った。
 夫人は驚きに目を見開いていた。

「ドロレスは下がってもらっても構いませんが……ああ、残したいなら構いませんよ」
 ホームズは静かに言った。
「さて、ファーガソンさん。僕は忙しい身ですので、手短に、そして率直に申し上げます。外科手術と同じで、早いほうが痛みは少ない。まず、あなたの心を軽くする言葉から始めましょう。――奥様は、とても善良で、深く愛情に満ち、そしてひどく傷つけられた女性です」

 ファーガソンは歓喜の声を上げた。

「それを証明してくれたら、一生の恩人だ!」

「証明します。ただし、その過程であなたを深く傷つけることになります」

「構わない! 妻が潔白なら、他のことはどうでもいい!」

「では、ベイカー街で僕が考えた推理をお話ししましょう。まず、“吸血鬼”という発想は馬鹿げています。イギリスの犯罪史にそんなものはありません。しかし、あなたの観察は正確でした。奥様が赤ん坊のそばから立ち上がったとき、唇に血がついていた」

「確かに見た!」

「では、こう考えませんでしたか? 血を吸う行為は、血を奪うためだけではない。毒を吸い出すためにも行われる。イギリス史にも、毒を吸い出した女王がいましたね」

「毒……?」

「南米の家庭。僕は壁の武器を見る前から、直感で“毒”の存在を感じていました。小さな弓と、空になった矢筒を見たとき、確信しました。
 ――赤ん坊が、クーレ(南米の毒)か、他の毒を塗った矢で刺されたら?
 吸い出さなければ死ぬんです」

「……!」

「そして犬。毒を使うなら、まず試すでしょう。犬はその犠牲になった。僕は犬の存在までは予想していませんでしたが、すべてがぴたりと符合しました」

 ホームズは夫人を見た。

「奥様は、その攻撃を恐れていた。実際に攻撃が行われ、赤ん坊を救った。しかし、あなたに真実を言えば、あなたが愛する息子のことで心が壊れると恐れた」

「ジャッキー……?」

「さっき、あなたが赤ん坊を抱いたとき、僕は窓ガラスに映った彼の顔を見ました。雨戸が背景になって、はっきりと。あれほどの嫉妬と憎悪を、人間の顔で見ることは滅多にありません」

「ジャッキーが……?」

「向き合わねばなりません、ファーガソンさん。これは“歪んだ愛”です。あなたへの狂気じみた愛情、そして亡き母への執着。その反動として、健康で美しい赤ん坊への激しい憎悪が生まれたのです」

「信じられない……!」

「奥様、私の言葉は真実ですか?」

 夫人は枕に顔を埋めて泣いていたが、やがて夫のほうを向いた。

「どうして言えたの、ボブ……? あなたがどれほど傷つくか、わかっていたから……。この紳士が“すべて知っている”と書いてくれたとき、私は……救われた気がしたの」

「ジャッキーには、海で一年ほど過ごすのがいいでしょう」
 ホームズは立ち上がった。
「ただ一つ、まだ疑問があります、奥様。あなたがジャッキーに手を上げた理由は理解できます。母親にも限界がありますから。しかし、この二日間、なぜ赤ん坊を離れたのです?」

「メイソン夫人に言いました。彼女は知っていました」

「やはり。そうだと思っていました」

 ファーガソンはベッドのそばに立ち、喉を詰まらせ、震える手を伸ばしていた。

 「そろそろ僕らは退散する時間だね、ワトソン」
 ホームズは小声で言った。
「君は、忠義が過ぎるドロレス嬢の片腕を。僕はもう片方を。――よし、これでいい」

 彼はそっと扉を閉めた。

「これで、あとはご夫婦で話し合えるでしょう」

 その後、この事件について僕が記録しているのは、ただ一つ。
 物語の冒頭で紹介した手紙への、ホームズの最終的な返書である。

BAKER STREET
11月21日

吸血鬼の件

拝啓
 19日付のお手紙に関し、ミンシング・レーンの茶仲買人、ロバート・ファーガソン氏からのご依頼について調査いたしましたところ、件の問題は満足すべき形で解決いたしましたことをご報告申し上げます。
 ご紹介いただきましたこと、厚く御礼申し上げます。

敬具
シャーロック・ホームズ

🗺️ 地名・施設一覧と地図リンク

地名・施設名概要・Googleマップ
ベイカー街(Baker Street) ホームズとワトソンの下宿があるロンドンの通り。事件の出発点となる。
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ミンシング・レーン(Mincing Lane) ロンドンの商業地区。依頼人ファーガソンの茶商会社がある。
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オールド・ジュアリー(Old Jewry) ロンドン市内の通り。依頼紹介を行った法律事務所が所在する。
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ヴィクトリア駅(Victoria Station) ホームズとワトソンがサセックスへ向かう際に利用したロンドンの主要駅。
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サセックス(Sussex) 事件の舞台となるイングランド南部の地域。ファーガソン家がある。
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ホーシャム(Horsham) サセックス北部の町。ランバリーの位置を説明する際に登場する。
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ランバリー(Lamberley) ファーガソン家がある村。架空の地名のためリンクなし。
チーズマンズ(Cheeseman’s) ファーガソン家の屋敷名。古い農家を改築した建物。架空の施設のためリンクなし。
チェッカーズ(The Chequers Inn) ホームズとワトソンが宿泊したランバリーの宿屋。架空の施設のためリンクなし。


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