ライオンのたてがみ
THE LION'S MANE
―断崖の村を揺るがす、謎の死と最後の言葉―
第5章 “たてがみ”の正体と海の底の真実
砂利の上には、マードックが残したタオルと服が小さく積まれていた。僕はゆっくりと水際を歩き、二人は僕の後ろを一列になってついてきた。
プールの大半は浅いが、断崖の下の窪んだ部分は深さ四、五フィートほどある。
泳ぐ者なら自然とそこへ向かうだろう。
澄んだ緑色の水が、宝石のように静かに光っていた。
断崖の根元には岩が並び、僕はその上を進みながら、水中を覗き込んだ。
そして、最も深く静かな場所に差しかかったとき――
僕の目は、探し求めていたものを捉えた。
「……サイネアだ!」
僕は叫んだ。
「サイネア! これが“ライオンのたてがみ”だ!」
僕が指さしたそれは、まさにライオンのたてがみをむしり取ったような奇妙な塊だった。
水面下三フィート(約1m)ほどの岩棚に、黄色い毛のような繊維が揺れ、銀色の筋が混じり、ゆっくりと脈打つように膨らんだり縮んだりしていた。
「もう十分だ。こいつの時代は終わりだ!」
「スタックハースト、手伝ってくれ! この殺し屋を永遠に葬るんだ!」
すぐ上に大きな岩があった。
僕たちはそれを押し、巨大な水しぶきを上げて落とした。
波紋が消えると、岩は棚の上に沈んでいた。
黄色い膜の端が、下敷きになった生物の存在を示していた。
濃い油のような液体が岩の下から滲み出し、水面にゆっくりと広がっていった。
「こりゃ驚いた!」
警部が叫んだ。
「ホームズさん、あれは何なんです? 俺はこの土地で生まれ育ったが、あんなもん見たことがない。サセックスの生き物じゃない」
「サセックスにいなくて幸いですよ」
僕は言った。
「南西の嵐で流れ着いたのかもしれません。さあ、二人とも家へ戻りましょう。僕自身がこの海の怪物と遭遇したときの、恐ろしい体験をお話しします」
書斎に戻ると、マードックは座れるほどに回復していた。
だが意識は朦朧とし、時折激痛に体を震わせていた。
彼は途切れ途切れに、自分に何が起きたのか全く分からず、突然激痛に襲われ、必死で岸へたどり着いたのだと語った。
「この本です」
僕は例の小さな本を手に取った。
「これが、永遠に闇に包まれていたかもしれない事件に光を当ててくれた。有名な自然観察者のJ・G・ウッドの著書『野外生活(Out of Doors)』。彼自身、この怪物に触れて死にかけたので、記述は非常に詳しい。
“サイネア・カピラータ(Cyanea capillata)”――これが犯人の正式名称で、コブラの咬傷より危険で、はるかに痛い」
僕は本を開き、引用した。
――もし海水浴者が、ライオンのたてがみと銀紙を混ぜたような、黄褐色の膜と繊維の塊を見たら、注意せよ。それが恐るべき刺胞動物、サイネア・カピラータである。

さらにウッドは、ケント沖で遭遇した際の体験を書いていた。
その生物は、中心から五十フィート(約15m)ものほぼ透明な触手を放ち、その範囲に入った者は死の危険にさらされる。
――無数の糸が皮膚に赤い線を走らせ、それは小さな点や膿疱となり、赤熱した針が神経を突き刺すような痛みを生む。
――局所の痛みは、全体の苦しみに比べれば取るに足らない。
――胸に激痛が走り、まるで銃で撃たれたように倒れた。心臓が胸を突き破ろうとするように、6,7回激しく鼓動した。
警部、これが事件の全貌です。マクファーソンの悲劇は、すべてこの生物が原因だったのです」
「そして、僕の疑いも晴れたわけだ」
マードックは苦笑した。
「警部もホームズさんも、疑ったのは当然です。僕は逮捕される寸前で、友の運命を自分も味わうことでようやく潔白になれた」
「いいえ、マードックさん。僕はすでに真相に近づいていました。もっと早く浜へ行っていれば、あなたを救えたかもしれません」
「どうして分かったんです?」
「僕は雑食的な読書家で、些細なことをよく覚えているんです。“ライオンのたてがみ”という言葉が頭から離れなかった。どこかで読んだ、とね。
そして、あの生物の姿を思い出した。
マクファーソンは水面に浮かぶそれを見て、最後の力で警告しようとしたのでしょう」
「では、僕は疑いが晴れたわけですね」
マードックはゆっくり立ち上がった。
「一つだけ説明させてください。あなたがたが疑った方向は分かっています。
確かに、僕は彼女を愛していました。でも、彼女がマクファーソンを選んだ日から、僕の願いは彼女の幸せだけでした。
僕は二人の仲介役として満足していたし、よく手紙も運びました。
彼の死を誰かが冷酷に伝える前に、僕が知らせたかっただけです。
彼女は、あなたが誤解して僕が不利益を被るのを恐れて、僕との関係を話さなかったのです。
……さて、許されるなら〈ゲーブルズ〉へ戻りたい。ベッドが恋しいのでね」
スタックハーストは手を差し出した。
「俺たち、みんな神経が張り詰めてたんだ。過去のことは許してくれ、マードック。これからはもっと分かり合えるだろう」
二人は腕を組んで出ていった。
警部は残り、牛のような目で僕をじっと見つめた。
「……やってくれましたな! 本で読んだことはあったが、まさか本物のホームズさんの推理を見るとは。信じられん!」
僕は首を振った。
そんな称賛を受ければ、自分の基準を下げることになる。
「僕は最初、遅れすぎた。
遺体が水の中で見つかっていれば、見逃すことはなかった。
タオルが乾いていたのが誤解の元だった。
彼は体を拭く余裕もなく倒れたのに、僕は“水に入っていない”と考えてしまった。
だから、水生生物の攻撃を疑わなかった。
……まあ、警部。僕はよくスコットランドヤードをからかいますが、今回は“サイネア・カピラータ”があなた方の仇を取るところでしたね」
🗺️ 地名・施設一覧と地図リンク
| 地名・施設名 | 概要・Googleマップリンク |
|---|---|
| サセックス海岸(Sussex Coast) | ホームズが隠居生活を送る地域。白亜の断崖と長い浜が特徴。地図を見る |
| フルワース(Fulworth) | 物語の中心となる小さな海辺の村。入り江と浜辺がある。架空の地名のためリンクなし。 |
| ヘイヴン(The Haven) | ベラミー家の邸宅。角塔とスレート屋根が特徴。架空の施設のためリンクなし。 |
| ゲーブルズ(The Gables) | スタックハーストが経営する寄宿学校。教師と学生が暮らす大きな施設。架空の施設のためリンクなし。 |
| サセックス・ダウンズ(South Downs) | ホームズの家の周囲に広がる丘陵地帯。タイムの香りが漂う自然豊かな場所。地図を見る |
| 海水浴用ラグーン(Bathing Pool) | 断崖下にできる天然の潮だまり。事件の舞台となる場所。架空の地形設定のためリンクなし。 |
| ホームズの家(Holmes's Cottage) | サセックスの丘陵に建つ小さな家。屋根裏に大量の本がある。架空の住居のためリンクなし。 |