シャーロック・ホームズ:新訳リブート

Sherlock Holmes: Rebooted Classics

— 現代の日本語でよみがえるホームズの物語 —

最後の事件

THE FINAL PROBLEM

「僕らの“最後の対決”──滝壺に消えた二人の影」

第5章 「残された手紙と、友の名」

 下り坂のほぼ終わりまで来たとき、僕はふと振り返った。そこからは滝そのものは見えなかったが、丘の肩を回り込むように曲がりながら滝へ続く小道が見えた。その道を、一人の男が──そう、はっきり覚えている──ものすごい速さで歩いていた。

 緑を背景に、黒い人影がくっきり浮かび上がっていた。
 僕はその勢いのある歩き方を気に留めたが、急ぎの用事があったので、すぐに意識から消えた。

 マイリンゲンに着いたのは、それから一時間ほど経ったころだった。
 ホテルの玄関先には、老スタイラー氏が立っていた。

 「どうです?」
 僕は駆け寄りながら言った。「彼女の容体は悪化していませんよね?」

 彼の顔に驚きの色が走り、眉がぴくりと動いた瞬間、僕の胸は鉛のように重くなった。

 「この手紙……あなたが書いたんじゃないんですか?」
 僕はポケットから手紙を取り出した。「ホテルに病気のイギリス人女性なんて、いないんですか?」

 「書いていませんよ。病気のイギリス人なんて、もちろんいません!」
 彼は叫んだ。「でも、封筒には確かにホテルの印がありますね! ああ、わかった。あなたが出たあとに来た、あの背の高いイギリス人が書いたに違いない。あの人は──」

 だが、彼の説明を最後まで聞く暇はなかった。
 恐怖が全身を駆け抜け、僕はすでに村の通りを走り抜け、さっき下ってきた道へ向かっていた。

 下りに一時間かかった道を、必死に駆け上がったが、滝に戻ったときには二時間が過ぎていた。

 そこには、ホームズのアルペンストックが──僕が別れたところの岩に、もたれかかるように立てかけられていた。

 だが、彼の姿はどこにもなかった。
 僕が叫んでも、返ってくるのは崖に反響する自分の声だけだった。

 そのアルペンストックを見た瞬間、僕の血は凍りつき、吐き気さえ覚えた。
 ──ホームズはロイゼンラウイへ向かっていなかったのだ。

残された杖


 あの三フィート幅の細い道で、片側は絶壁、もう片側は断崖。その場所で、敵が追いつくのを待っていたのだ。
 スイス人の少年もいなかった。
 おそらくモリアーティの手下で、二人をその場に残して去ったのだろう。

 そして、そのあと何が起きたのか?
 誰がそれを語れるというのか?

 僕はしばらく立ち尽くし、恐怖で頭が真っ白になった。
 やがて、ホームズのやり方を思い出し、この悲劇を“読む”ことにした。

 残念ながら、それはあまりにも簡単だった。

 僕たちは会話のあいだ、道の端まで行っていなかった。アルペンストックが、僕たちが立っていた場所を示していた。
 黒っぽい土は、滝の飛沫で常に湿って柔らかく、鳥でさえ足跡を残すほどだ。

 その先の道には、二人分の足跡がはっきり残っていた。
 どちらも“奥へ向かう”足跡で、戻ってきた跡はなかった。

 数ヤード先では、土が掘り返され、泥のようになっていた。
 崖縁の茨やシダは引きちぎられ、ぐしゃぐしゃになっていた。

 僕は腹ばいになり、飛沫を浴びながら崖下を覗き込んだ。
 空はさっきより暗くなり、黒い岩肌に光る水滴がところどころ見えるだけだった。
 遥か下の縦穴の底で、砕け散る水がかすかに光っていた。

 僕は叫んだ。
 「ホーーーームズ! ホーーームズ!」
 だが返ってきたのは、滝の“半ば人間のような叫び”だけだった。

 しかし、運命は僕に、友人であり戦友である彼からの“最後の言葉”を残してくれていた。

 アルペンストックが立てかけられていた岩の上で、何かが光った。
 手を伸ばすと、それは彼がいつも持ち歩いていた銀のシガレットケースだった。

 それを取ると、下にあった小さな紙片がひらりと落ちた。
 広げると、彼のノートから破り取られた三ページ分の紙片で、僕宛てに書かれていた。

 書きぶりは、まるで彼の書斎で書いたかのように、正確で、力強く、そして澄んでいた。

親愛なるワトソン君へ

 この数行を綴る機会を与えてくれたモリアーティ氏の好意に甘えることにする。
 彼は、僕たちの動きをどうやって把握し、イギリス警察をどうやって出し抜いたか、その手口を語ってくれた。
 それは、僕が彼に抱いていた高い評価を、さらに確かなものにする内容だった。

 僕は、彼の存在が社会に与える害悪を、これ以上残さずに済むことを嬉しく思っている。
 ただ、その代償が、僕の友人たち──とりわけ君、ワトソン──を悲しませることになるのは心苦しい。

 だが、僕の人生はすでに“転機”に達していた。
 どんな結末であれ、これ以上ふさわしい終わり方はないと、僕は思っている。

 正直に告白すると、マイリンゲンからの手紙が“偽物”であることは最初からわかっていた。
 君をあの用事に向かわせれば、こうした展開になると確信していたのだ。

 パターソン警部に伝えてほしい。
 ギャングを有罪にするための書類は、青い封筒に入れ、“Moriarty”と書いて、Mの棚に置いてある。

 イギリスを出る前に、僕の財産はすべて兄のマイクロフトに託した。

 奥様によろしく。
 そして、僕が君の真の友人であることを忘れないでほしい。

心からの敬意を込めて
シャーロック・ホームズ

 あとに残されたことを語るのに、多くの言葉はいらないだろう。

 専門家の調査によれば、二人の男は、あの状況では避けようもなく、互いに組み合ったまま崖へ落ちたと考えられている。
 遺体の回収は完全に不可能だった。

 あの恐ろしい渦巻く水と泡の釜の底に──
 その時代で最も危険な犯罪者と、最も偉大な法の守護者が、永遠に眠ることになったのだ。

 スイス人の少年は二度と見つからなかった。
 彼がモリアーティの手下の一人だったことは疑いようがない。

 あの一味については、ホームズが集めた証拠によって組織の全貌が暴かれ、世間の記憶にも残っているだろう。
 死んだ男──ホームズ──の手は、彼らに重くのしかかった。

 首領モリアーティについては、裁判で明らかになったことは少なかった。
 だが、僕がここに彼の経歴を明確に記したのは、彼の名誉を守ろうと、軽率にもホームズを攻撃した者たちに対する、僕の義務だ。

 僕が知る限り、ホームズは──
 最も善良で、最も賢い男だった。

🏙 登場地名・施設一覧

地名・施設 概要
ベイカー街(Baker Street) ホームズとワトソンの拠点。ロンドン中心部にある有名な通り。 地図を見る
オックスフォード・ストリート(Oxford Street) ホームズが襲撃を受けたロンドンの大通り。商店街としても有名。 地図を見る
ベンティンク・ストリート(Bentinck Street) ホームズが馬車に轢かれかけた交差点付近の通り。 地図を見る
ウェルベック・ストリート(Welbeck Street) ホームズが危険に遭遇したロンドン中心部の通り。 地図を見る
メアリルボーン・レーン(Marylebone Lane) 逃走した馬車が曲がり消えた細い通り。 地図を見る
パル・マル(Pall Mall) ホームズの兄マイクロフトの部屋があるロンドン中心部の通り。 地図を見る
ヴィクトリア駅(Victoria Station) 二人がヨーロッパ大陸へ向かう際に利用した主要駅。 地図を見る
ロウザー・アーケード(Lowther Arcade) ホームズの指示でワトソンが駆け抜けたアーケード。現在は現存しない。
カンタベリー(Canterbury) 列車が停車し、二人が降りたイングランド南東部の街。 地図を見る
ニューヘイブン(Newhaven) フランス行きの船が出る港町。 地図を見る
ディエップ(Dieppe) 二人がフランス側で上陸した港町。 地図を見る
ブリュッセル(Brussels) 二人が滞在したベルギーの首都。 地図を見る
ストラスブール(Strasbourg) 二人が移動したフランス東部の都市。 地図を見る
ジュネーブ(Geneva) 二人が向かったスイスの都市。 地図を見る
ローヌ渓谷(Valley of the Rhône) 二人が散策したスイスの渓谷地帯。 地図を見る
リューク(Leuk) ゲミ峠へ向かう途中のスイスの町。 地図を見る
ゲミ峠(Gemmi Pass) 二人が越えた雪深い峠。 地図を見る
インターラーケン(Interlaken) スイスの観光地。二人が通過した。 地図を見る
マイリンゲン(Meiringen) ホームズ最後の旅の拠点となった村。 地図を見る
エングリッシャー・ホフ(Englischer Hof) 二人が泊まったホテル。英語の通じるホテル、英国式旅館のことで、当時は大陸の各都市にあった。 地図を見る
ライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls) 物語のクライマックスとなる滝。 観光案内はこちら地図を見る
ロイゼンラウイ(Rosenlaui) 二人が泊まる予定だった山間の集落。 地図を見る
ダウベン湖(Daubensee) ゲミ峠近くの湖。 地図を見る


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