シャーロック・ホームズ:新訳リブート

Sherlock Holmes: Rebooted Classics

— 現代の日本語でよみがえるホームズの物語 —

最後の事件

THE FINAL PROBLEM

「僕らの“最後の対決”──滝壺に消えた二人の影」

第3章 「アルプスの風と、消えない足音」

 出発まであと七分。
 僕は駅にいる旅人や見送りの人々の間を何度も探したが、あのしなやかな体つきの友人の姿はどこにもなかった。

 その間、僕はたどたどしい英語でポーターに荷物の扱いを説明しようとしている老イタリア人の神父を手伝った。パリまで荷物を送ってほしいらしい。手伝い終えてもう一度あたりを見回したが、やはりホームズはいない。

 車両に戻ると、ポーターが間違えて、あのイタリア人神父を僕の同乗者として思って押し込んでいた。僕のイタリア語は彼の英語よりさらにひどかったので、追い出すこともできず、僕は肩をすくめて諦め、ホームズを探し続けた。

 “もしかして、夜のあいだに何かあったのではないか”
 そんな不安が胸を冷たくした。

 すでにドアはすべて閉まり、発車の汽笛が鳴った、そのとき──

一等車の神父


 「やあ、ワトソン。おはようの挨拶すらしてくれないとは、ちょっと寂しいじゃないか」

 その声を聞いた瞬間、僕は思わず振り返り、呆然とした。
 さっきまで隣に座っていた“年老いた神父”が、こちらに顔を向けていたのだ。

 ほんの一瞬で、彼の顔のしわは消え、鼻は顎から離れ、突き出ていた下唇は引っ込み、もごもごしていた口元は引き締まり、濁っていた目には鋭い光が戻った。
 猫背だった身体がぐっと伸び──

 次の瞬間には、すべてが元に戻り、ホームズは来たときと同じ速さで姿を消していた。

 「な、なんてことだ……!」
 僕は叫んだ。「心臓が止まるかと思ったぞ!」

 「まだまだ用心が必要なんだよ」
 ホームズは小声で囁いた。「どうも奴ら、僕たちの後をかなり熱心に追っているらしい。……ほら、あそこにモリアーティがいる」

 列車はすでに動き始めていた。
 僕が振り返ると、人混みをかき分けて背の高い男が必死に走ってきて、手を振り、列車を止めようとしていた。

 だがもう遅い。
 列車は加速し、あっという間に駅を離れた。

 「これだけ慎重に動いても、ギリギリだったね」
 ホームズは笑いながら立ち上がり、変装用の黒いカソックと帽子を脱ぎ、手提げ鞄に押し込んだ。

 「ワトソン、朝刊は読んだかい?」

 「いや、まだだ」

 「じゃあ、ベイカー街の件も知らないんだね?」

 「ベイカー街?」

 「昨夜、僕たちの部屋に放火されたよ。まあ、大した被害じゃなかったけどね」

 「なんてことだ、ホームズ! もう我慢ならんぞ!」

 「例の暴漢が捕まったことで、奴らは僕の足取りを完全に見失ったんだろう。でなければ、僕が部屋に戻るなんて思わないはずだ。……ただ、君のほうは監視していたらしい。それでモリアーティがヴィクトリア駅に来たんだ。君、来る途中で何かミスは?」

 「いや、君の指示どおりにしたよ」

 「馬車は見つかった?」

 「ああ、待っていた」

 「御者はわかったかい?」

 「いや、知らない顔だった」

 「僕の兄、マイクロフトだよ。こういうとき、雇われの御者に頼らないのは大きな利点だ。……さて、モリアーティへの対策を考えないとね」

 「この列車は急行だし、船とも連絡してる。もう撒いたんじゃないか?」

 「ワトソン君、僕が“奴は僕と同じ知能レベルだ”と言った意味を理解していないね。もし僕が追う側なら、こんな障害で諦めると思うかい? なぜ彼だけがそうだと思うんだい?」

 「じゃあ、奴はどうする?」

 「僕ならどうするか、だよ」

 「じゃあ、君ならどうする?」

 「特別列車をチャーターするね」

 「でも、もう遅いだろ?」

 「いや、そうでもない。この列車はカンタベリーで停まるし、船のところで最低十五分は待たされる。そこで追いつかれる」

 「まるで僕たちが犯罪者みたいだな。いっそ、奴が着いたら逮捕させよう」

 「それでは三か月の努力が水の泡だ。大物は捕まるが、小物が四方八方に逃げる。月曜には全員捕まるのに。……逮捕は論外だよ」

 「じゃあ、どうする?」

 「カンタベリーで降りる」

 「それで?」

 「そこから陸路でニューヘイブンへ行き、ディエップへ渡る。モリアーティはまた僕と同じことをする。パリへ行き、僕たちの荷物を見つけ、二日間デポで待つ。その間に僕たちは旅行カバンを二つ買い、旅先の経済に貢献しつつ、ルクセンブルクとバーゼル経由でのんびりスイスへ向かうことにしよう」

 そういうわけで、僕たちはカンタベリーで降りた。
 だがニューヘイブン行きの列車は一時間待ちだった。

 僕は、遠ざかっていく荷物車──僕の衣類が全部入っている──を見て、少し落ち込んでいた。
 そのとき、ホームズが僕の袖を引き、線路の先を指さした。

 「ほら、もう来てる」

 遠くのケントの森の向こうに、細い煙が立ち上っていた。
 一分後には、機関車と車両がカーブを猛スピードで駆け抜けてくるのが見えた。

 僕たちは荷物の山の後ろに隠れるのがやっとだった。
 列車は轟音とともに通り過ぎ、熱風が顔に叩きつけられた。

ワトソンの荷物


 「行っちゃったね」
 ホームズは、ポイントを揺れながら通過していく車両を見送りながら言った。
 「どうやら、あの男の知性にも限界があるらしい。僕なら“僕がどう動くか”を推理して、最高の一手(a coup-de-maitre)を打っただろうに」

 「もし追いつかれていたら、どうなっていた?」

 「間違いなく、僕は殺されていたね。でもこれは“二人でやるゲーム”だ。さて、ここで早めの昼食を取るか、ニューヘイブンのビュッフェまで飢えを我慢するか……どっちにする?」

 その夜、僕たちはブリュッセルに着き、二日滞在した。
 三日目にストラスブールへ移動した。

 月曜の朝、ホームズはロンドン警察に電報を打ち、夕方、ホテルに返事が届いた。
 ホームズは封を切り、次の瞬間、激しい罵声とともに暖炉へ投げ込んだ。

 「やっぱりだ!」
 彼はうめいた。「奴は逃げた!」

 「モリアーティが?」

 「一味は全員捕まったが、奴だけが逃げた。僕が国を出たせいで、奴に対抗できる者がいなかったんだ。……ワトソン、君はイギリスへ戻ったほうがいい」

 「どうして?」

 「今の僕は危険すぎる同行者だ。奴はロンドンに戻れば終わりだ。だから全力で僕に復讐するだろう。あの短い会話でも、そう言っていたしね。……君は医院に戻るべきだ」

 だが、僕は戦友であり、友人だ。
 そんな説得で引き下がるはずがない。

 ストラスブールの食堂で三十分ほど議論したが、その夜にはもう旅を再開し、ジュネーブへ向かっていた。

 その後の一週間は、ローヌ渓谷をのんびり歩き、リュークで分岐して雪深いゲミ峠を越え、インターラーケンを経てマイリンゲンへ向かった。
 春の柔らかな緑と、冬の純白が同時に広がる、美しい旅だった。

 だが、ホームズは一瞬たりとも“影”を忘れていなかった。
 アルプスの素朴な村でも、孤独な山道でも、彼の鋭い視線は常に周囲を探り、すれ違う人々の顔を一つ残らず観察していた。

 ──どこへ行こうと、危険は僕たちの後をついてくる。

 ホームズは、そう確信しているようだった。

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