ボスコム谷の惨劇
The Boscombe Valley Mystery
「父を殺したのは僕なのか?霧の谷に眠る過去」
第3章 オーストラリアの過去
僕は新聞の欄を見ながらつぶやいた。「検死官は、若いマッカーシーにかなり厳しいことを言ってるね。父親が彼を見ていないのに合図を送ったこと、口論の内容を話さないこと、そして“ラット”という奇妙な言葉……どれも彼に不利な要素だ」
ホームズはくすっと笑って、クッションの効いた座席に体を伸ばした。
「君も検死官も、若者にとって一番有利な点を、わざわざ選んで強調してるように見えるよ」と彼は言った。「想像力がありすぎるとも、なさすぎるとも言ってる。口論の理由を作れなかったのは想像力が足りないってことだし、“ラット”とか消えた布の話をしたのは、想像力がありすぎるってことになる。僕はね、彼の言ってることを“本当だ”という前提でこの事件に向き合うつもりだ。その仮説がどこに導いてくれるか、見てみようじゃないか。さて、僕のポケット・ペトラルカを読むとしよう。現場に着くまでは、この事件についてはもう何も言わないよ。スウィンドンで昼食を取る予定だ。あと20分で着くみたいだね」
午後4時近く、僕たちは美しいストラウド渓谷を抜け、輝くセヴァーン川を渡り、ついにロスという小さな田舎町に到着した。
ホームの端には、痩せていてイタチのような男が待っていた。どこかこそこそした雰囲気で、薄茶色のダスターコートと革のレギンスを身につけ、田舎に合わせた服装をしていたが、僕にはすぐにスコットランド・ヤードのレストレードだとわかった。
彼と一緒に馬車でヘレフォード・アームズへ向かい、すでに予約されていた部屋に通された。
「馬車を手配してあります」とレストレードは、紅茶を飲みながら言った。「あなたの行動力はよく存じてますから、現場を見ずには落ち着かないだろうと思いまして」
「それはありがたい配慮だね」とホームズは答えた。「でも、すべては気圧次第だよ」
レストレードは目を丸くした。
「……気圧、ですか?」
「気圧計は……29か。風もなし、雲もなし。ここには煙草がたっぷり入ったケースがあるし、ソファは田舎のホテルにしては上出来だ。今夜、馬車を使う可能性は低いね」
レストレードは苦笑した。
「もう新聞で結論を出されたんでしょう? 事件は単純明快で、調べれば調べるほど明らかになりますよ。でも、女性の頼みは断れませんからね。しかも、かなり強気な方でして。あなたのことを聞きつけて、どうしても意見を聞きたいと。何度も『私がやったこと以上のことは、彼にもできない』って言ったんですが……おや、馬車が来たようです」
彼がそう言い終えるか終えないかのうちに、部屋へ飛び込んできたのは、僕が今まで見た中でも屈指の美しさを持つ若い女性だった。
紫がかった瞳が輝き、唇はわずかに開き、頬には紅潮が差していた。普段は控えめな性格なのだろうが、その場では興奮と心配がすべてを凌駕していた。

彼女は僕たちを見回し、すぐに女性特有の直感でホームズに視線を定めた。
「来てくださって、本当に……本当に嬉しいです。どうしてもお伝えしたくて、馬車を飛ばしてきました。ジェームズはやってません。絶対に違うんです。どうか、それを信じたうえで調査を始めてください。少しでも疑わないでください。私たちは子どもの頃からずっと一緒に育ってきたんです。彼の短所も、誰よりもよく知っています。でも、彼は虫一匹殺せないくらい優しい人なんです。あんな罪を犯すなんて、彼を本当に知っていれば、ありえないってわかるはずです」
「彼の無実が証明できるといいですね、ターナーさん」
ホームズは静かに答えた。「できる限りのことはします。お任せください」
「でも、もう証拠はご覧になったんですよね? 何か結論は? ほら、矛盾とか、ほころびとか……見えませんか? ホームズさんご自身は、彼が無実だと思ってらっしゃるんですか?」
「可能性は高いと思っています」
「ほら、そうでしょ!」
彼女はぱっと顔を上げ、レストレードに向かって勝ち誇ったように言った。
「希望が持てるって、ホームズさんが言ってくれました!」
レストレードは肩をすくめて言った。
「同僚は少々、結論を急ぎすぎたようですね」
「でも、正しいんです。ああ、私にはわかるんです。ジェームズは絶対にやってません。それに……父親との口論の件ですが、彼が検死官に話さなかったのは、私が関係していたからだと思います」
「どういう関係ですか?」
ホームズがすかさず尋ねた。
「もう、隠している場合じゃありません。ジェームズとお父様は、私のことで何度も言い争っていました。マッカーシーさんは、私とジェームズを結婚させたがっていたんです。でも、私たちは兄妹のように育ってきて……もちろん、ジェームズはまだ若くて、人生経験も少ないですし、そういうことをすぐに決めたくなかったんです。それで、よく衝突していました。今回の口論も、きっとその一つだったんです」
「あなたのお父様は、その結婚に賛成だったのですか?」
「いえ、父も反対でした。賛成していたのは、マッカーシーさんだけです」
ホームズが鋭い視線を向けると、彼女の頬にさっと赤みが差した。
「貴重なお話をありがとうございます」
ホームズは丁寧に言った。「明日、お父様にお会いしてもよろしいでしょうか?」
「それは……お医者様が許してくださらないと思います」
「お医者様?」
「ええ、ご存じなかったんですか? 父はもともと体が弱かったんですが、今回の件で完全に参ってしまって……今は寝たきりです。ウィローズ先生によると、もう心身ともに限界だと。マッカーシーさんは、父がオーストラリアのビクトリア州時代に知った唯一の生きている友人だったんです」
「ほう、ビクトリア州で? それは重要ですね」
「はい、鉱山で一緒だったそうです」
「なるほど、金鉱ですね。ターナー氏が財を成した場所と聞いています」
「ええ、そうです」
「ありがとうございます、ターナーさん。とても有益な情報でした」
「明日、何かわかったら教えてくださいね。きっとジェームズに会いに行かれるんでしょう? もしそうなら……ホームズさん、彼に伝えてください。私が、彼の無実を信じているって」
「ええ、必ず伝えますよ、ターナーさん」
「もう帰らなきゃ。父がとても具合が悪くて、私がいないと寂しがるんです。……それでは、失礼します。どうか、神様があなたをお導きくださいますように」
彼女は入ってきたときと同じ勢いで部屋を飛び出していき、すぐに馬車の車輪の音が通りを駆けていくのが聞こえた。
しばらく沈黙が続いたあと、レストレードが重々しく口を開いた。
「ホームズさん、あなたには失望しましたよ。希望を持たせておいて、裏切ることになるのは目に見えているじゃありませんか。私は情にもろい方ではありませんが、あれは残酷だと思いますね」
「僕には、ジェームズ・マッカーシーの無実を証明できる道筋が見えてきましたよ」
ホームズは静かに言った。「彼に会う許可証は?」
「ありますよ。ただし、あなたと私の二人分だけです」
「それなら、外出しないという決意を見直す必要がありそうですね。今からヘレフォード行きの汽車に乗れば、今夜中に彼に会えますか?」
「十分間に合います」
「では、行きましょう。ワトソン、退屈かもしれないけど、僕は2時間ほどで戻るつもりだよ」

僕はホームズとレストレードに付き添って駅まで歩いたあと、小さな町の通りをぶらぶらと歩き回った。やがてホテルに戻り、ソファに身を沈めて、黄色い背表紙の安っぽい小説を手に取った。
けれど、その物語の筋はあまりにも薄っぺらで、僕たちが今まさに迷い込んでいる深い謎と比べると、まるで紙のように頼りなかった。気がつけば、物語から現実へと意識が何度も飛び、ついには本を部屋の隅に放り投げて、今日の出来事について考えることに集中した。
もし、あの不幸な若者の話がすべて本当だったとしたら--父親と別れたあの瞬間から、叫び声に引き戻されて森へ駆け込むまでの間に、いったい何が起きたというのか? それは、恐ろしく、致命的な何かだった。いったい何が?
医学の知識が、傷の性質から何かを教えてくれるかもしれない。僕はベルを鳴らし、検死審問の全文が載っている地方紙を持ってきてもらった。
外科医の証言によると、左頭頂骨の後部3分の1と後頭骨の左半分が、鈍器による強打で粉砕されていたという。僕は自分の頭にその位置を指でなぞった。明らかに、背後からの一撃だった。
これは、被疑者にとっては少し有利な点だ。目撃された口論では、彼は父親と向かい合っていたからだ。とはいえ、父親が背を向けた瞬間に殴られた可能性もあるので、決定的ではない。それでも、ホームズに伝えておく価値はあるかもしれない。
そして、あの奇妙な“ラット”という言葉。うわ言ではないはずだ。突然の打撃で死にかけている人間が、普通、譫妄状態になることはない。むしろ、自分の死の原因を伝えようとしたのではないか。だが、それが何を意味するのか?
僕は頭を抱えて考え込んだ。
さらに、若いマッカーシーが見たという灰色の布の件。もしそれが本当なら、犯人は逃走中に上着か何かを落とし、息子が背を向けて膝をついていたほんの10メートルほどの距離で、それを回収するために戻ってきたことになる。
なんて、謎と不自然さに満ちた事件なんだろう。レストレードが疑ってかかるのも無理はない。けれど、僕はホームズの洞察力を信じていた。新しい事実が出るたびに、彼の「若者は無実だ」という確信が強まっているように思えたからだ。
ホームズが戻ってきたのは、かなり遅い時間だった。彼はひとりだった。レストレードは町の宿に泊まっているらしい。
「気圧はまだ高いままだね」
ホームズは椅子に腰を下ろしながら言った。
「現場を調べる前に雨が降らないのは重要だ。とはいえ、こういう繊細な作業は、万全の体調で臨みたい。長旅の疲れがある状態ではやりたくなかったんだ。若いマッカーシーに会ってきたよ」
「それで、何かわかったのかい?」
「いや、何も」
「彼は何の手がかりも出さなかったのか?」
「まったく。最初は、誰がやったか知っていて庇ってるのかと思ったけど、今では彼も完全に混乱してるだけだと確信してる。頭の回転は早くないけど、見た目は整ってるし、心根は悪くないと思うよ」
「でも、あんな魅力的なターナー嬢との結婚を嫌がるなんて、趣味が悪いよな」
「それには、ちょっと痛々しい事情があるんだ。彼は彼女に夢中なんだよ。狂おしいほどに。でも、2年前——まだ彼女のことをよく知らない頃、彼女は寄宿学校で5年も離れていたんだけど——その間に、彼はブリストルの酒場の女に引っかかって、役所で結婚しちゃったんだ。誰もそのことは知らない。だから、彼が“結婚しない”って責められるのは、彼にとっては地獄だよ。本当は目玉を差し出してでも結婚したいのに、絶対にできないってわかってるんだから。
父親が最後の口論で、ターナー嬢にプロポーズしろって迫ったとき、彼が両手を振り上げたのは、その絶望からだったんだ。しかも、彼には生活の手段もない。父親はかなり厳しい人だったらしく、真実を知ったら彼を見捨てていただろう。
彼がブリストルで過ごした3日間は、その酒場の妻と一緒だった。でも父親は、彼がどこにいたか知らなかった。ここ、重要なポイントだよ。
ただ、悪いことが良い結果を生んだ。新聞で彼が窮地に陥っているのを知ったその女が、彼を完全に見捨てて、手紙で『実は既にバミューダの造船所に夫がいる』って告げてきた。つまり、彼との結婚は無効ってことだ。これで、彼も少しは救われたんじゃないかな」
「でも、もし彼が無実なら、犯人は誰なんだ?」
「それだよ。注目すべき点が2つある。ひとつは、被害者が池で誰かと約束していたこと。しかも、その相手は息子じゃない。息子は不在で、いつ戻るかも知られていなかった。もうひとつは、“クーイー!”という呼び声。息子が戻ったことを知らない状態で、それを叫んだ。これが事件の核心だ。
さて、ジョージ・メレディス(19世紀のイギリスの小説家)について話そうか。細かいことは明日まで置いておこう」