中年になってからバイク・オートバイの免許を取得し、北海道ツーリングや関東周辺のツーリングを楽しむノウハウ
道北マイバイクツーリング 2009
2009年7月21日(火)
強風の稚内・宗谷


サロベツのとほ宿「民宿あしたの城」で朝4時54分に目覚めてしまう。その後寝ようとしたが結局寝られなかった。
6時過ぎに外に出てみると、利尻岳の頂上がきれいに見えた。

朝食はシンプルで、人数も少ない。野鳥の写真を撮りに行った人、幌加内の友人に会うといっていた鹿追の美女らがいなくなっていた。

美女ライダーがノシャップ岬まで行くと言うので、こちらもノシャップ岬に行く予定だったので(本当)誘ったが、やんわりと断られた。織り込み済みです。

8時過ぎに一人で出発。まずサロベツ原生花園に寄る。もう花はほとんど咲いていないが、草原の上に利尻岳がきれいに見えて、とてもいい感じ。わずかに咲き残っている花を手前にして写真を撮りまくるが、カメラを木道に落としてしまい、一時脳震盪意識不明だったが、電池を外すなどして再起動したら息を吹き返した。ピントや露出が気になったが、あとでパソコンで見たら正常だった。



JRでやってきたあんちゃんがまだ時間があるとかでやってきて、木道ですれ違う。アラサーのサラリーマンだと思うが、年に100泊近く旅行をしているらしくいまどき珍しいのではないか。ユースホステルをよく利用しており、「名寄から来たなら名寄サンピラーYHに泊まったの?」など、30年前のYH全盛時のような話題をしているのが、懐かしかった。
意外と暑いので、パーカーを脱いで身軽になる。

道道106号に戻る途中、美女ライダーとすれ違った。また逢うことはあるのでしょうか。

106号に出ると利尻岳がきれいに海上に浮かんでおり、それはそれは見事。沿道には黄色や赤い花が咲いており、ますます見事。しかも直線の1本道でクルマも少ない。何度かバイクを止めて写真やビデオを撮影した。そして快走。風が強いのが難点である。



稚内市内に入り、ノシャップ岬で写真を撮る。かつて家族と来たときはベチョベチョの雨で写真どころでなかったが、今日は利尻岳をバックに撮影できた。
今日も260km以上走るので、いわゆる観光的要素は極力減らし、写真を撮る程度にとどめる。



稚内公園で氷雪の門や樺太真岡電話局の殉職した乙女(電話交換手)の慰霊碑で手を合わせる。



その後、防波堤ドームに行って一周し、戻ろうとしたら見慣れたバイクがドームに向かうのが見えた。さっそくストーカー。美女ライダーが稚内市内に上がってきたのだ。



再び逢ってバイクの話しなど雑談したり写真を撮り合ったり。すると彼女はわが社と同じグループ会社の人だということがわかった。なるほど、明るくてハキハキしているわけだ(そういう職種です)。まるで加山雄三の「若大将」が星由里子の澄子とあちこちで遭遇するような確率である。大企業グループに勤めていてよかった。辞めないからね。

彼女は美瑛まで走るというから、今日の走行距離は300kmを越える。こちらも宗谷岬を経由して山間部の美深町まで下りるからさすがにここでお別れになった。
名刺は家に置いてきたけど、持ってくればよかったか。




絶景のエサヌカ線

国道238号線を北上し、途中から「宗谷丘陵」のサインを見て道道889号線に入る。とにかく風が強い。風速7mくらいある。外気温は13度程度なので、バイクで走行すると相当の風であり、体力が消耗される。低体温症で凍死するかもしれん。

宗谷丘陵は地面に深い溝がいく筋もできている壮大な地形で、国道をそのまま宗谷岬に行くよりも絶景が望める。しかも牧場地で牛が景色に彩りをそえる。さらにはレーダードームや風車が林立しており、ここでしか見られない、自然と人工の作り出す荘厳な地形が拝めるのだ。



それにしても風が強く、バイクを風上に傾けて走らないとコケそうである。
宗谷岬の上にある間宮堂というラーメン屋に入り、帆立塩ラーメンを食べた。コクがあるとてもおいしい塩ラーメンだった。



そして日本最北端の宗谷岬に行くと、観光バスが連なっており、岬の碑の前は流れ作業で団体記念撮影をしている。撮影が終わったグループは後ろの碑でそれぞれで記念写真を撮り始めるので、次のグループのバックに入り込んでしまう。カメラマンが「ちょっと失礼します〜」と声を掛けて、一時的にどいてもらっていた。
どこぞのライダーに声を掛けられ、互いに記念写真を取り合う。こういうときこそライダー同士の助け合いだ。



日本最北端の宗谷岬郵便局で貯金をして手紙を出す。門前にオフロードバイクを止めて貯金をしていたライダーが、自分の写真を撮ってくれと声を掛けてきた。そこで「撮るけど撮り終わったらそのバイクをどけて」と言うと「やっぱり」と。邪魔なの、わかってた?
ここでも互いに日本最北端の郵便局で撮影しあう。



国道238号線を南下するが風が強くて寒い。猿払村でパーカーを着る。でも寒い。宗谷岬のライダーも寒くて野宿ができずライダーハウスに泊まっていると言ってた。
浜猿払交差点から海沿いに行き、エサヌカ線というライダー口コミの道路を走る。電線など視界をさえぎるものは何もなく、黄色や赤の花(名前わからずスマソ)が咲き乱れる草原をひたすら一直線に通り抜ける道路。ときおりトラックが走るのが難だが、交通量は極めて少ない。ライダーが駐輪して撮影しているので、こちらもビデオで撮影。

北部からはまだわかりやすいが、南部から来るとどこから入っていいのかまったくわからない秘密の道。

北部入口マップコード
680 387 716

南部入口マップコード
644 836 646



道道106号とエサヌカ線の自走ビデオをご覧ください。



浜頓別でクッチャロ湖浜頓別ユースホステルの跡地を眺める。浜頓別ユースホステルは大学の自転車部時代に訪れた懐かしいユースだったが、数年前に閉鎖された。サイロをかたどった建物は残っていなかった。



さらに南下して枝幸へ。神威岬は今はトンネルになっているが、かつては国道も国鉄も岬を大きく迂回していた。この道はまだ残っているので迂回する。灯台が高くそびえていた。



枝幸で雨がぱらついてきた。歌登に行く道道12号線の入り口でカッパを着る。GPSもしまった。歌登まではほとんど無人地帯。道路と雑木林しかない道をひた走る。考えてみたらこの道を通ったという証のために走っているようなものなので、GPSをしまったのは失敗だったと思い直し、歌登のセイコーマートでGPSを装着し、用意していたビニル袋をかけて再び走る。

この先もほぼ無人地帯で、国鉄美幸線(びこう・せん)を通そうとして通せずに廃線になってしまった経緯がある。今では美幸線のために掘削していた大曲トンネルを利用した道路トンネルの天の川トンネルができており美深町へと通じている(かつて道路はなく国鉄が予定されていた)。



ぱっと視界が開けて仁宇布(にうぷ)の集落に出た。
旧仁宇布駅と美幸線の一部を利用してのトロッコ列車が有名(鉄っちゃんの間で)。駅跡の写真だけ撮って、今夜の宿、ファームイントントに向かった。

まったく奥まった場所にある宿。民宿みたいなものかと期待してなかったが、立派なツインベッドの室内に感心した。そもそも仁宇布に宿があること自体不思議だが、スバルの寒地テストコースがあって、冬は富士重工の人たちが泊まる需要があるという。



窓の外の牧場で戯れる羊を見ながら、5日前に落とされたその兄弟か親戚をジンギスカンで食べるが、とてもおいしい。まったく臭みがない。落としてすぐのほうがおいしいそうで、札幌などの生ジンギスカンとは比べ物にならない。しかも量が多く、札幌などの3人前はあるのでは。



ただ、換気が悪く建物中が臭くなり、風呂にもう一度入った。が、満足。
部屋ではストーブ焚いてます。


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