ぼくは学生時代から旅が好きで、大学の自転車部で日本中を走り、鉄道マニアとして日本中の国鉄路線に乗り(完乗したのは84年3月に日豊本線北川駅で)、本職では旅行会社の広告を手がけている。また、海外はパネルクイズアタック25で行ったパリを皮切りに、アメリカを中心に旅行している。
しかしそんな旅行記をえんえん書いてもしょうがない。そこで絞り込みました。日本の東西南北、普通の人が行ける日本の極限を紹介します。緯度経度はインクリメントP社のCD-ROM地図"MAP FAN2"によりました。
写真はコニカのフィルムスキャナQScanによるものです。
宗谷岬に立つと、左側に島が見える。厳密な最北端は宗谷岬からちょっと先に見える弁天島という小さな島だ。弁天島へは漁船をチャーターして行けるようだが、行ったことはない。まったく小さな岩礁といった感じだ。
しかしこの話を建設省(現:国土交通省)の火星ちゃんと呼ばれる上田伸行さんにしたところ、
4人での写真は1974年7月23日、大学の自転車部の合宿の前哨戦として、有志で浜頓別からオホーツク海を右側に見て走り、到着したときのものだ。忘れもしないが浜頓別のユースホステルでもらった昼食の特大おにぎりをここで食べ、稚内に着いたら食中毒になった。今ではたいへんな騒ぎになるが、次の宿泊地である南稚内のユースは、浜頓別ユースに電話連絡しておにぎりを出さないことにした、というだけで終わってしまった。この写真の4人のうち、罹患したもう一人とともにタクシーで病院に行き、善良な医師によって無料で手当てを受けて事無きを得た。日本最北端での食中毒、心細かったですぜ(^_^;) しかしあとの2人はどうしてかからなかったんだろう。
NHKの「クイズ日本人の質問」でやっていたが、宗谷岬は駐車場を作るために緯度1秒分だけ北に移動したらしい。上の写真はそうなる前のものだな。
宗谷岬には86年9月18日にも訪れている。大岬郵便局の写真がそのときのものである。岬に近づくにつれて、「最北端の土産物屋」「最北端の公衆電話」「最北端の民宿」など、「最北端の○○」が増えてくる。このページで紹介している4つの果ての中で、もっとも賑やかな果てである。
そして、97年8月には家族で訪れた。北に1秒移動した後の写真である。しかし、ご覧の通りの雨雨雨の天気で、娘はクルマから降りず、その後も豪雨で日程変更を余儀なくされた。
すぐ近くに最北端の郵便局「大岬郵便局」がある(写真)。1999年に移転し「宗谷岬郵便局」になったらしいが、まだ訪れていない。鉄道で最北端の駅はJR北海道の宗谷本線稚内駅である。
●本当の日本最北端 カムイワッカ岬……北海道庁のサイトより
ここは言うまでもなく最東端ではない。いわゆる北方領土の
だから、普通の人が行ける最東端は納沙布岬になる。しかしさすが北海道、最東端とはうたっていない。返せ北方領土だ。
この写真は95年8月24日に家族で訪れたときのもので、私にとっては3度目の最東端である。晴れていれば北方領土の水晶島が肉眼でも見えるらしいが、あいにく見たことはない。
岬には北方領土の資料館、北方領土を見るためのタワー、北方領土返還を祈念したモニュメントや鐘など、北方領土関係の施設が多い。当時の住民が記憶で描いた商店街の地図が記憶に鮮明である。とにかく早く返してもらって、渡ってみたいものだ。
土産物屋もあってそれなりににぎやかだが、やはり北の岬はどこか寂しい。
最東端の郵便局は
本当の最南端は東京都小笠原村の
石垣島から高速船で1時間、波照間島にはバス・タクシーなどの公共交通機関はないので、旅人は島の北西部にある港に、民宿のクルマに迎えに来てもらうか、誰かのクルマに乗せてもらう。しかし集落までは1キロなので歩いても楽勝だし、民宿がレンタサイクル・バイクを経営しているので、島内観光もこれでできる。
島の東部に波照間空港があり、朝1便だけ、石垣空港と琉球エアコミューターの19人乗りのプロペラ機DHC−6が結んでいる。
私が行った97年1月26日はあいにくの雨で、集落から4キロある最南端の碑までびしょびしょになりながら歩いてたいへんだった。道路を歩いている人は皆無で、たまにサトウキビ畑で働いている人を見るだけ。工事の車両にヒッチハイクで乗せてもらって、ようやく碑までたどり着いた。もし択捉島に行ったら、こんな雰囲気なんだろうな、と思った。
碑のとなりには日の丸の国旗がプレートになっている石碑があり、領土権を主張していた。さらに「日本最南端平和の碑」というのが建てられていた。施設らしいものは
ここから見えるところに高那崎(たかなさき)という断崖絶壁の奇勝があり、磯釣りにはいいみたいだ。泊まった民宿「みのる荘」には、立派な魚拓がいくつも掲示してあった。碑より1キロほど先に「星空観測タワー」というミニ天文台みたいな建物があり、南十字星も見えるそうだ。天気のいい日に訪れたら南の果てまで来たかいがあるというものだろう。
最南端の郵便局は集落にある波照間郵便局。この島にある唯一の国の施設ではないだろうか。また、最南端の駅は波照間島にあるわけがなく、JR九州の指宿枕崎線西大山駅(鹿児島県)だったが、2003年8月、沖縄本島に開業したゆいレール(沖縄都市モノレール)赤嶺駅となった。
なお、民宿みのる荘のおやじさんはゆうパックの配達はするワ、1日1便の波照間空港で働くワ、さらに飛行機に乗ってスチュワーデスのかわりはするワ、大活躍である。
ここは正真正銘の最西端である。
与那国島へは石垣空港からYS11で約30分。島の中央北部の空港に降り立つ。バスが1日数便走っているのだが、いわゆるバス停がない。ぼくが見つけたバス停は島の東部にある一番の集落である
空港前にバス停の表示はなく、不安だったのでタクシーに乗ってしまった。運転手に聞くとバスは出てしまったそうで、空港接続などまったく考えられてないようだ。
久部良の集落に入ると、灯台とヨナクニサン(世界最大の蛾)をデザインした
晴れていれば西に台湾が見えるそうで、沖縄本島よりも台湾の方が近い。しかし言語や文化は台湾とはまったく異なり、「国境の島」のキャッチフレーズがある。
久部良からの戻りはバスに乗った。数人の乗客があった。マイクロバスの運転手は沖縄民謡のカセットをかけてくれた。途中でぼくたちに「みなさま、はじめてですか〜」と尋ね、そうだと答えると、道から見えるものを次々と案内してくれた。言葉がよくわからなかったが、それなりに雰囲気はあり、島のよさを一生懸命説明してくれて好感がもたれた。このバスに乗ってよかったと思った。
郵便局は祖納に与那国郵便局が、本当の最西端の郵便局として久部良集落に与那国郵便局久部良分室がある。
最西端の駅は、長崎県の第三セクター松浦鉄道のたびら平戸口駅であったが、2003年8月に開業したゆいレール那覇空港駅である。
日本の中で、もっとも遠いところはどこだろう。それは多分小笠原ではないだろうか。最遠端は「気持ちの上」であるが。
実際の距離は父島まで1000kmだから札幌や福岡並みの距離であるが、空港がない。東京竹芝桟橋から船で25時間30分かかり小笠原諸島父島二見港に到着する。普通の手段で行くにはこれしかないのだ。さらに船で2時間かけて50km先の母島沖港に着く。
しかし25時間の価値は充分にある。小笠原には本土では味わえない、亜熱帯の空気が待っている。
(写真は父島南部の南島、緯度経度は母島中心部)
●小笠原海運……小笠原へのほぼ唯一の足。
日本の中で、もっとも行きにくいところはどこだろう。それは多分知床岬ではないだろうか。最遠端は「気持ちの上」であるが。
知床岬には灯台が建っているがもちろん無人である。岬の先まで行く道がないのだ。道路は、半島南側の羅臼町なら
この写真は87年7月に、今はなき<北海タイムス>という新聞社系の旅行会社が企画した、「青函連絡船で行く北方領土の旅」に参加したときのもので、背景は知床岬である。この旅は青函連絡船の船を使い、釧路から択捉島のさらに先のウルップ島を回って、紋別に行く、船中2泊の旅だった。果ての好きな私は友人と参加したのである。
あいにく天気が悪く、北方領土択捉島は肉眼では見えずレーダーで地図どおりの姿を確認するだけだった。もっともこんな回りくどい方法でなくても、夏場は斜里町宇登呂から観光船が出ており、知床岬は遠望できる。灯台は羅臼町との境に建っているが、この写真は北部の斜里町の姿なので、表題では斜里町とした。
●斜里町商工観光課……人に帰る旅、知床。
●羅臼町……知床らうす通信。
標高3776m。日本最高峰。
登頂したのは1979年7月29日である。たった一度きりで再び登ることはあるまい。
前日は友人たちと三島のホテルに泊まり、早朝からバスで五合目まで行き、そこで杖を購入し、登り始めた。「富士山クリーン作戦」でゴミ袋を配布しており、それを受け取ったシーンが地元新聞に写真入で報じられたのが「おまけ」である。山小屋にたどり着くたびに杖に焼印を押してもらい、山頂についてからは山頂郵便局で風景印を押してもらったり、未参加の友人にはがきを出したりした。
むしろ大変だったのは下山で、足がガクガク来て、夕暮れまでに降りられないのではと、心配した。