第2回アメリカ横断ウルトラクイズタイトル
  後楽園球場……1978年9月2日  
 
  後楽園球場
 
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後楽園球場に集まったのは700人。妹の洋子と参加した。
クイズグランプリで知り合ったIさんといっしょに走り、敗者復活で成田空港行きを手にできた。この回の第1次予選通過者は100人だった。

 
 
  成田空港〜サイパン……1978年9月10日〜  
 
  成田空港

サイパン

 
1週間ののち、荷物をまとめて日本テレビに集合。その夜、バスで成田空港もよりのホテル「成田エアポートレストハウス」に。
翌10日の朝からホテルのロビーでジャンケンになり、妹は一番最初に負けてしまった。私はやや苦戦するも勝ち、サイパンに向かって旅立った。

機内のクイズは順調に解答しトップの成績を取り、ブーブーゲートで強制送還される敗者を見送った。
 
  サイパン

サイパン

 
11日は朝からサイパンのビーチでクイズになった。ものすごい日差しで、ビーチに並べられた椅子でクイズの開始を待たなければならず、これだけでフラフラになった。
○×に間違えてしまった私は、バナナボートに乗って空港へ向かうという趣向の罰ゲームをしたが、このとき、サイパンの海の青さと美しさを知った。あまりの暑さに海に飛び込む者がいたが、足のたたない沖合で最後には「助けてくれ〜」とマジで救助を求めていた。
 
  サイパン敗者復活戦

サイパンN

サイパン

サイパンビーチ

 
舞台は空港前になり、飛行機を目の前にしての敗者復活戦「アルファベットかるたとり」になり、ここで一番で勝ち抜けた。
クイズ番組の強豪、北海道のNさんから祝福を受けた。彼が残っていたら、その後、かなりの苦戦を強いられるところだった。

その日は飛行機には乗らないでサイパンでリゾートを楽しみ、夜は政府要人まで出席しての歓迎パーティが催された。
空港で敗者復活戦をして、いかにもすぐに飛行機に乗るように見せかけて、実はもう1泊する……。こういうフェイントは以後何回も受けることになった。

 
  ポナペ島

ポナペ島

 
サイパンからの飛行機は、グァム島、ポナペ島、トラック島などの太平洋の島々をたどりながらの便だった。
ポナペ島は太平洋戦争の戦地だったようで、同じ飛行機で遺骨収集団が降り立った。そのせいか、島の人は日本語が少しわかり、老女の花飾りをスタッフが「きれい」と誉めたところ、それをくれるなど、とても素朴でいい島だった。機会があればぜひポナペ島(最近ではポンペイ島と言うらしいが)に行って、のんびりとしたいものだ。

 

このコーナーで使用しているモノクロ写真は、日本テレビ放送網株式会社提供のものです。