成田空港〜グァム……1980年9月 | ||||
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第2回ウルトラクイズで優勝し、第3回は後楽園で敗れた私は、第4回で再び後楽園を突破し、成田空港へやってきた。このときはもう怖いものナシで、再び優勝するつもりだった。 ジャンケンにもストレートで勝って、後の人の勝負をゆっくりと観戦するゆとりまである。 |
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勝者は空港ターミナルへ行くバスへ乗り込む。 |
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他の挑戦者の中には第3回でいいところまで行ったT君らがおり、今年のウルトラクイズは気が抜けない好勝負になりそうだった。 |
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グァム行きの機内ペーパークイズは、クイズ史上に残る「パターン解答方法」を編み出して実践し、満点近い成績を取る。 とうぜんトップで通過して、余裕のよっちゃんで皆といっしょに島内観光に出かけた。ここは超有名な観光地「恋人岬」。 |
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私は、スタッフや挑戦者たちから一目置かれているので、痛し痒し。 早くも女の子と仲良くなって、いっしょに写真を撮ったり、食事をしたり。とてもウルトラクイズに来たとは思えない、リラックスさだった。 |
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しかし、神のシナリオはとうにできあがっていた。 翌日の、やはりクイズ史上に残る初の「○×ドロンコクイズ」では、「誰かやってみる人はいないか」との福留さんのかけ声に押され、「はい」と手を上げ、一番にドロンコにはまってしまった。 まさしくスタッフの思うつぼ。その他、昨年の上位の人たちも軒並みドロンコにはまってしまい、誰がリードするか全くわからなくなった。 ちなみにこのドロ、染料を入れてあるのかなかなか落ちず、海であらかた落としたと思っていたのに、ホテルの部屋に戻ってシャワーを浴びると、バスタブが真っ茶色になるほどどんどん出てくる。Tシャツ・バミューダパンツはすぐさま廃棄処分。髪や身体は洗っても洗ってもドロが出てきて、耳の中も泥まみれになっていた。 |
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こうしてハワイへ向かう人たちのバスを見送り、しがなく帰国するのだった。 会社には3週間もの休みを貰い、絶対優勝するの意気込みで臨んだのだが、ジンクス通り自信満々の時は負ける公式を証明した。 結局この回は女性優位の展開になり、山口由美ちゃんが優勝、松沢典子ちゃんが準優勝した。 番組のスタジオ録画には毎回でかけ、クイズ仲間ともよく会って、いまでいう「オフ」を何度となく開催した。第4回は第4回なりに私のクイズ人生にエポックを作ってくれたと思っている。 |