第2回アメリカ横断ウルトラクイズタイトル
  シカゴ……1978年9月21日〜  
 
  シカゴ

シカゴ

  シカゴは天気も良くなく、暗く沈んだ雰囲気で、あまりいい印象はない。アル・カポネの町だったことでも知られ、当時のそういう雰囲気が今も(1978年)残っていたのかもしれない。
シカゴに着いた日は撮影がなかったので、Yちゃんを誘ってシカゴの町に繰り出した。シカゴは「シカゴ派」と呼ばれる建築の名所であり、それなりに有名な建物や、当時世界一の高層ビルであるシアーズタワーがそびえる都市でもある。
 
  シカゴ

  私は鉄道が好きで、サンフランシスコではBARTと呼ばれる地下鉄に乗ったが、ここシカゴではループと呼ばれる地下鉄(都市内交通網)に乗った。高架の上を走るのでガラガラと音がすごい。  
  シカゴ

シカゴ

  高いところも好きなので、当然シアーズタワーにも昇った。
なにやら前衛芸術を展示してあるフロアもあった。
シアーズは通信販売で有名ないわゆる百貨店だが、当時は日本では馴染みのない企業だった。それがこれだけのビルを建てているのだから、当時からアメリカでは通信販売は大きな産業なのだろう。
 
  シカゴ

  挑戦者たちはあまりにクイズができないので「これはよくない」と思い始め、クイズの勉強をすることになった。
翌日のクイズに備え、私が持参した自作のクイズ問題集から問題を出し、椅子を早押しボタンに見立てて解答する練習をベッドサイドでしたのだった。
 
  シカゴ

シカゴ

  翌日のクイズは、テーマパークを舞台として、日本にいる家族に国際電話で「インスピレーションクイズ」を出し、家族に答えて貰う趣向だった。こっちは昼でも日本は深夜というよりも未明で、事前にスタッフから何度も電話がかかり、「もうちょっとまって」「もう少し」の連続だったという。午前2時ごろの頭ボケボケ状態だったらしい。
このクイズでYちゃんが落ちてしまい、罰ゲームで当時としては珍しいループコースターに挑戦することになってしまった。
実は、日本に先に帰った兄が彼女を早く帰国させたくて、彼女が出すヒントをわかっていてもことごとく「わからない」と答えた結果だった。「小さい虫」「地面にいっぱいいる」「たくさんで襲ってくる」……「わかんない」。アリに決まっているだろう、アリに!!。

すべてが終わって、マドンナ的な存在だったYちゃんがいなくなり、U君も寂しそうである。