第2回アメリカ横断ウルトラクイズタイトル
  レイクタホ・リノ……1978年9月18日〜  
 
  タホ

タホ

  本土も一歩中に入ってしまうと、もう当時の普通の日本人には馴染みの薄い地名になった。
レイクタホ=タホ湖と聞いてもどんなところだかまったくわからない。当時の観光ガイドブックにも載ってない地名なのだった。タホ湖の水温を足で測って、正解と近い水温を推測した者から、クイズが有利になると言うふれこみだった。順番に並んで、1問多答クイズをやった。

 
 
  リノ

  リノという町もわからなかったが、ラスベガスと並んでカジノの町ということだった。リノではカジノを借り切って、フォーチュンウィル(幸運の輪)クイズをやった。カジノでの撮影は普通は禁じられており、特別の許可を貰って客の少ない深夜に行ったので、未明の2時ごろの撮影だった。
カジノなので正装している。ニューヨークでの優勝を想定して、スーツも持ってきていたのだ。
 
 
  コロラドスプリングス・デンバー……1978年9月19日〜  
 
  コロラド

コロラド

コロラド

コロラド

  コロラドスプリングスでは、富士山より標高の高いパイクスピークという山でのクイズだった。番組では「デンバー」と言っているが、実際に着いた地名はコロラドスプリングス。
クイズは中腹の売店の駐車場で撮影したので、ここの標高は富士山より低かったと思う。ちなみに富士山の標高は3776mである。
ホテルを出る前に、スタッフが「とにかく寒いので着られるだけ服を着てください。パジャマでもいいので着てください。」と言ったが、クイズに間違えるとどんどん服を脱いでいく趣向だったのだ。
しかし、みんなは間違えに間違えて脱ぐ服もなくなってしまい、再び着込んで撮影を再開した。メンバーはスタッフが思っているほどクイズができなかったのだ。現に残っている私以外はクイズが全く初めての人ばかりだった。
「運も才能のうち」、これは詭弁でも何でもない、私の座右の銘の一つである。

クイズはスタッフの思惑通りに行かなかったと思うし、やっているほうもさほどおもしろくなかったが、コロラドの山はすごい迫力で私に迫ってきた。再びコロラドを訪れる機会があったが、好きな土地の一つである。
 
  デンバー

デンバー

  コロラドスプリングスからデンバーに出た。デンバーには牛丼の吉野家があり、ビーフボールとやらを食べた。容器は丼だったが、箸のかわりにフォークで食べる食べ物だった。